①映像に依らない人による対面ガチンコ指導!
⇒塾に通わずとも、安価で良質な映像授業は巷に溢れています。だからこそCLEARは、人にによる対面指導でしかできないことにこだわります。
②文系・理系にかかわらず、前期(高2の8月まで)は英語・数学の重点指導!
国公立大を見据えての英数指導。共通テストでは5教科7科目が基本です。数学をきっちりと学ぶことで志望校の選択肢や受験パターンも広がります。
「基礎的な問題はできるんだけど応用問題がどうも苦手で…」
そんな悩みを抱える子どもや親御様も多い。
でもね。
応用問題になるとできないっていうのは、基礎力がまだ不十分ってことがほとんどなんです。そこの認識を違えてしまっていると、難しそうな問題ばかりに手をつけることになって、結局ほとんど解決しない。
たとえば今年度の高校入試の英語。問5の条件英作文が難しいらしく、正答率も低かった。

でもね。正答例はこれですよ。
How many students watch movies ( with their families…)
※受験生が記述するのは赤字の部分
結論から言ってしまうと中1でもできる英作文。単語レベルも中1。これがなぜ「難しい」とみなされるのかというと、how many~を用いた部分を主語とする言い回しに慣れていないからだ。
疑問詞のwhatやwho、whichなどは、代名詞として主語のはたらきもする。
・Who is this boy?「この少年は誰ですか。」⇒ が補語
・Who came here?「誰がここに来たのですか。」⇒ が主語
これらと同じように、
・How many cars did you buy? 「何台の車を買ったのですか。」⇒ が目的語
・How many cars were sold?「何台の車が売られていたのですか。」⇒ が主語
how many~の部分を主語として使うこともできるというだけ。
応用問題が出来ないというのは、基礎力が不十分であることがほとんど。「応用になると…」と悩んでいる子や親御様は、今一度、基礎基本が十分に身についているかどうかを振り返ってみることが大切。ちなみに、学校の成績でいえば“3”、偏差値でいえば“50”は、“真ん中”や“平均”と認識し「まぁ基礎力は大丈夫だろう」と思ってしまいがちだけれど、とんでもない。決して安心できるレベルじゃない。学校の成績であれば“4”も怪しく思えることもある。偏差値60前後で基礎力は身についているだろうといえるレベルと思っていい。
“応用”という言葉だけが一人歩きしてしまい、本質を見失わぬようにしたいものだ。
昨夜の土曜日。中学生の授業が終わり、子どもたちが帰ろうとする頃には土砂降りの雨。その中で1人カッパを着込んで自転車で帰ろうとする高3H。彼は自習に来ていた。
「気をつけて帰れよ。」
『はい。』
Hは鴨宮から連日自転車で通塾してくれている。
「こんな雨のひどい日はあんまりムリするなよ。」
『はい、そう思ったんですけど、家に居たってどうせ勉強しないだろうなって思って。』
「そうか(笑)。」
『ありがとうございましたぁ。』
「おう、ありがとな。気をつけてな。」
そう言って送り出しながら、応援したいと心の底から思った。そして、
「周りが応援してくれるから頑張るのではない。頑張るから周りが応援してくれる。」
ということも改めて思い起こした。やはり、まずは自分自身の在り方が大事だ。
高3になってからというもの、休校日の日曜を除いて、授業日以外も毎日自習に来ているH。彼がCLEARの門を叩いてくれたのは中2の冬だった。当初は西湘高校が努力圏というぐらいの学力だったが、受験期には秦野高校は安全圏といえるぐらいにまでメキメキと力をつけて、実際に合格した。そして、高校2年生になってからは理系の能力が開花し、物理の定期テストでは学年トップ、数学もそれに準ずるような好成績を残した。
周りに流されないのが彼の良いところ。
順境のときも慢心せず、
逆境のときも困惑せず、
自分自身を見失うことはない。
目指すは理系最難関私大。
ガンバレ、H。
歴史(日本史・世界史)は「好きor嫌い」「得意or苦手」が二極化しやすい教科。好きな子は「マニアか?」とツッコみたくなるくらい物知りだし(特定の時代に限ること多いけど)、嫌いな子は「世界はおろか日本(自国)のことすらほとんど知らない」というのが定番だ。
苦手or嫌いな子のほとんどは、単に興味を持てない、という場合と、歴史=年代暗記と捉えている場合だ。そんな子どもたちに授業でよく言うのは、
「歴史を“物語”として捉えよ」
ということ。
人間というのは何かを記憶するときには、必ず関連づけて記憶していくものだ。これが歴史でいうところの「流れ」なるもの。「歴史は流れを押さえることが大事」というけれど、流れ=関連性。そして、関連性=因果関係であることは言うまでもない。
歴史なんてのは極論すれば人間の感情が動かしてきたようなもの。
「こんなに苦しい思いをしてるのは今の国王のせいだ!」
「どうして同じ人間なのにこんなに不平等なんだ!」
…のように、時の権力者が民衆や他の勢力に倒され取って代わられ…を繰り返しているにすぎない。こういう歴史の流れの大前提を疎かにして、細かい人名や出来事だけを覚えていくというのは、それこそ木を見て森を見ず。原理・原則を無視して、よく分からないまま知識だけ詰め込もうとするのはムリがある。ミクロではなくマクロの視点でまずは全体像を何となく理解することが大事だ。
流れ=関連性=因果関係を、人間の感情というフィルターを通して捉えてみる。そのうえで、まずは気楽に教科書を読んでみよう。「覚えよう」「理解しよう」と意気込んで読む必要はない。気楽に物語を読むように教科書と向き合えばいい。
とにかく教科書を読みまくる。
だまされたと思って是非試してほしい。苦手という子ほど、実はやるべきことをやっていない子が多いのだが、5~6回読めばおそらくびっくりするくらい理解が進み記憶にも定着しているはずだ。だから、読む力=国語力…が大事でもあるんだけどね。
最後に。
歴史を学ぶ意義は、
現代を相対化すること。
そして、未来をより良くしていくことだ。

「数学が得意です。」という生徒は例外なく計算が速いし、安定している。
よく生徒の悩みや親御さんから相談を受けるとき、「計算問題は解けるけと、文章題が苦手。」という声を聞きます。ただ、実際教えてみると、よどみなく計算するということができないことが多い。
計算はただ「解ける」ではなく、「すらすら解ける」が肝心です。
一般的に中学・数学に進むにつれて、数学が苦手になる生徒が多い。練習不足が理由というケースが少なくありません。
進級すればするほど、問題のレベルが上がれば上がるほど、計算は単純作業ではなくなります。論理的な考え方をするにしても、思考的な考え方をするにしても、基盤となる計算力は必要になってきます。
計算力があがれば、問題に取り組む時間も十分にとれるし、考える余裕が生まれます。じっくりに考える力を身に付けるためにも計算力の向上は「数学が得意になる」には必要不可欠なものと考えます。
2021年春に中学部を卒塾した第5期生。
彼ら彼女らの受験生としての1年間をスライドショーにしました。
受験指導は私どもの想いの結晶でもあります。
「CLEARってどんな塾?」
その答えはここに集約されていると言っても過言ではありません。
是非ご覧下さい。
勉強と部活(クラブチーム等の活動も含めて)との両立というのは、中高生にとって今も昔も変わらぬ課題だろう。
今春、とある学習塾から転塾してきた子がいる。入塾前の三者面談の折に、「クラブチームに所属していて、場合によっては欠席せざるを得ない日もあるのですが…」というご相談を受けた。
「部活やクラブチーム等の活動は目一杯やってください。それにより学習が著しく遅れてしまうようなら可能な限りフォローしますので。勉強一辺倒もダメですし、部活一辺倒もダメです。何事もバランスが大事ですから。」
そう応えると、保護者様は意外そうな表情を浮かべた。
「以前の塾では、『玉遊びなんかやってんじゃねぇよ』みたいなことを言われたらしいので…」
部活動等に対する否定的な、というか、もしこの発言が本当であるならばずいぶんと辛辣なことを講師から言われたらしい。正直、俺は怒りが込み上げた。
前職時代から今まで、部活動等には全力で取り組んでほしいというスタンスは一貫して変わらない。言うまでもないことだけど、それらから学べることは多い。かくいう俺も、中学ではハンドボールを3年間、高校ではバスケットボールを3年間続けてきた(下手くそだったけど汗)。
今までの教え子を振り返ってみても、部活動等に一生懸命に取り組んでいる子は、勉強面でも秀でている子が多かった。もちろん例外もあるけれど、時間の使い方が上手かったり、厳しさに対する耐性があったり、とにかく、自立=自律できている子、達観できている子が多かったように記憶している。やはり、部活動等によりどうしても勉強時間には制約がかかる。でも、だからこそ、その限られた時間を有効に使えるよう知恵を振り絞るのだろう。部活があるから勉強ができない、勉強があるから部活ができない、ではなくて、部活があるからこそメリハリをもって勉強できる、というマインドが大事ではなかろうか。双方が足を引っ張り合うのではなくて、むしろ相乗効果を生むような“両輪”として。何事も捉え方次第でいくらでも+に変えられるはずだ。
だから、部活を休んでまで塾に来るようになどとは一度も言ったことがない。テスト前などの変則的なカリキュラムを組まなければならないときも、必ず子どもたちには部活に支障がないかを確認するようにしている。ただ現実として、どうしても全員が都合をつけられる日程や時間を組むのは難しいときもあり、一部の子には理解・協力してもらうこともある。
CLEARはこれからも、部活動等に一生懸命な子を精一杯応援していきたい。
やっぱり良い“脳”が育つと思う。
春期講習も残り2日。高校生も含め、CLEARの春を少しだけご紹介!(その②)
成績がいよいよ進学資料となる新中2。学校の成績ももちろん大事だが、実力も磨いていかなければ今の受験は“勝てない”。


ゆえに入試形式の国語を体験してもらう。国語に学年など関係ない。もっと言ってしまえば、英語や数学だって自学力のある子は、学年の垣根など関係なく自分でどんどん学習を進めるべきだ。

高校部には季節講習がないため、通常授業が続いていく。ただし、新高1は高校準備講座を開講。高校英数の先取り集中学習だ。


他学年は黙々と志望大学合格に向けての学習を個々に進めていく。


高校部には湘南高校に通っている子が2名在籍してくれているのだが、1人はこれまでの評定平均が4.5(すごい!)。推薦合格も視野に入ってきた。ただ、本人は実力で合格したい気持ちが強いかも。

子どもたちがそれぞれ今の自分自身を越えていけるよう導いていきたい。
…でも、やっぱり教科書改訂により中学英語はかなり厄介だ…(汗)。
CLEARの第1期生として卒塾してくれたAが、第一志望の早稲田大学合格の報告に来てくれた。
Aのお兄さんやお姉さんも前職時代にご縁をいただき、塾生として指導させていただいた。二人とも今は大学生、大学院生として、立派にそれぞれの道を歩んでいるようだ。
少しだけ自身の話になるけれど、前職を辞した後、紆余曲折を経てここ小田原の国府津に進学塾CLEARを立ち上げて間もなく5年(まだまだ新参者です…汗)。その立ち上げ直後に前職時代に教えていたそのAが、CLEARに転塾してくれたことが今回のことにつながっている。因みに、転塾については、決して引き抜いたとかいうことではありません。
そんなAとの久しぶりの再会。こうして節目に挨拶に来てくれたこと、本当に嬉しかった。そして、お母様からはこんな心温まるお手紙をいただいた。以下、原文のまままに…。
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長谷川先生
この春も桜がしっかり満開で美しく、どんな時も季節はちゃんと巡ることを実感しております。
先生方には、ますますご活躍のことと存じます。
我が家も、やっと一息つくことができる時がやってきました。
先生に初めて子どもたちがお世話になってから12年。
先生には三人の子どもたちに、学習面のみならず、精神面でも大変多くのことを教えていただきました。先生はどんな時も誠実に真っ正直にご指導くださり、それを貫かれているからこそ子どもたちの心に、確かに響くものがあって、苦しくても前に進む勇気をいただけたのだと思っております。
この先、子どもたちはまだまだたくさんの苦難を経験するのだと思いますが、先生のご指導が何よりの心の糧となって前を向いていけると信じております。
毎日お忙しいことと存じますが、どうぞお体には十分お気をつけてお過ごしください。
先生方と塾生の皆様を心から応援しております!
2021.3.30 ○○
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※個人情報保護のため氏名は○○と表記させていただきました。
こんなにも温かなお手紙を頂戴し、恐縮してしまうとともに、この場をお借りして深く深く感謝申し上げます。言葉になりません。
目の前の子どもたちをホンキで褒め、ホンキで叱ることができなくなってしまったら、潔くこの仕事を引退しようと心に決めている。そうでなければ、子どもたち、そして、保護者様にも失礼だと思っているから。でも、こういうお手紙を頂戴すると、自身の身体がもつまでは、いつまでもいつまでもこの仕事を続けていきたいとも思う。
○○様、本当にありがとうございました。
お子様の益々のご活躍を、心より祈念しております。
春期講習も折り返しに突入。
これまでのCLEARの子どもたちの様子をザックリと振り返る。
小学生は教科書レベル+αの指導。
思考力が求められる算数ラボでは苦戦する子どもたちも。

そんな小学生には、春休みの宿題として子ども新聞の書写を指示。
言葉の知識、文章の書き方、社会常識を身に付けるきっかけとなれば嬉しい。

新中1は英単語テストに挑戦。レベルがグンと上がる教科書でもしっかりと対応できる学力を身に付けていきたい。

受験生となる新中3は程よい緊張感で学習が進められている。今年も難関校を目指している子が多い。しっかりと導いていきたい。

次回は新中2・高校生について!