勉強して成果が出る子と出ない子との差はどこにあるか。以前に、「テスト勉強タブー四箇条」という記事を書かせてもらったが、それをもう少し踏み込んで考えてみたい。
結果が出せる子、誤解を恐れずに言うと「デキル」子、の共通点には「真似することが上手い」ということがまず1つ挙げられるだろう。「真似」と言っても、誰かのノートや答えを丸写しするというのではもちろんなく、「思考」や「方法」を真似できるということ。学習の基本となる教科書ですら、元をたどれば先人の思考・方法を後世の人々が受け継ぎそれを活用・発展させてきた産物だ。その教科書を元に参考書や問題集が作られる。それらを読んだり解いたりしては真似してみる。また、真似たものを組み合わせて「自分のやり方」を模索する。
「自分の勉強法」とは、「真似」の積み重ねで確立する。真似することが下手な子がいわゆる「デキナイ」子。では、なぜ真似ることができないか?「反復」が足りていないから。一定の反復練習を重ねることで初めて、「見ないでも真似る」ことができるようになる。しかし、まともに真似ることができていない状態でさらに新しい思考・方法を真似ようとするから訳が分からなくなる。綺麗事は言いたくないので、はっきり言って先天的な「能力」の差も多少はあるだろう。しかし、それ以上にそれを伸ばすための練習とそれを可能にする環境の方が大きいというのが俺の持論です。
つまりは、真似を繰り返していくうちに、それらのさまざまな組み合わせを覚え、自在に活用できるようになっていく。この活用に極めて長けている者がいわゆる「秀才」なのかもしれない。「秀才」と聞くと、はるか雲の上の存在と思ってしまうかもしれないが、努力次第では、決して到達できない領域ではないと思う。なぜなら、すでに「存在するもの」から学び、それを元に新たな思考・方法を見出し活用できるようにしていく過程にあるものなのだから。けれども、決して到達できない領域もあるだろう。それこそ「存在しない」ものから、何かを生み出すこと。要するに、「有から有」ではなく「無から有」を生み出すということだ。
これがいわゆる「天才」なのかもしれない。「天才」は努力の範疇でどうにかなるものではない。
だから、まずは「真似」の達人=「秀才」を目指そう。