ある教え子のこと①~その6~

※これら一連の話は旧入試制度の頃のものです。

Nは志望校を平塚江南高校に定めた。
その高校は県が指定する学力向上進学重点校の1つであり、学区制が敷かれていた頃のトップ校の一つだ。入試問題も英数国は独自問題であったため、早期からの準備・対策が必要だった。ましてNは内申点では圧倒的に不利であり、どう頑張っても一次選考での合格は不可能。二次選考での滑り込み合格に懸けるしかなかった。

Nも含め、その高校を目指す受験生がいたため、有志を募り独自問題対策を2学期より開始した。もちろん並行して2学期期末に向けての勉強もしなければならないのだが、二次選考狙いのNにとって、学校の成績よりも入試での得点力強化が急務だった。しかし、学校の成績を無視するわけにいくはずもなく、それこそ毎日、学校の勉強や独自問題の勉強に追われるような日々だった。そんな状況で体力的にムリが祟ったのか、その頃流行りだしたインフルエンザにかかってしまい、最悪のコンディションで期末試験を受けることになってしまった。

やがて期末試験も終わり、2学期の成績が明らかとなった。インフルエンザの影響もあろうかと思うが、成績は全く伸びず、いやむしろ1学期もりも下がってしまった。でもこれで戦うしかない。この持ち点(内申点)で戦う以外ない。Nの内申点は81。神奈川県の高校受験生やその保護者様であれば、この数字が意味すること、そしてこの数字をもって平塚江南を受験しようとすることの意味は十分に分かってくれることだろう。

内申点をいくら振り返っても、もはやどうにもならない。とにかくこの持ち点で戦うしかない。ある意味吹っ切れたのか、その後のNは入試一発勝負に集中することができたようだった。独自問題対策も一度も欠席することなく頑張った。そして、授業のない日は連日自習室に来ては過去問と格闘する日々。12月ごろになると、英数国合わせて100点前後(※1科50点満点)取れるほどの得点力もついてきていて、「もしかするともしかするかも…!」と、俺も密かな期待を持てるようになり始めた。

いよいよ受験ロードも最終コーナー、冬期講習が目前に迫ってきた。

(つづく)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です