思考力の前に知識、粘り強さ

教育現場では「知識より思考力を」と叫ばれるようになって久しい。書店に行けば思考力を謳う書籍がずらりと並んでいるし、高校入試や大学入試でも、その要項や問題に思考力を求める文言が目立つ。
「考える力を養おう」「答えのない問いについて考えよう」など、聞こえは良いけど、実は最近、現場で子どもたちと接していて少し違和感を覚え始めている。
一にも二にも「思考力」。その言葉だけがもてはやされ、その前段階が軽視されてしまっているよう気がしてならない。それは・・・

そもそも考えるための材料=知識が不足しているのでは?

知識は思考の土台

『思考力が求められているからこそ知識を』と思うときがる。こんなことを言うと・・・
「時代に逆行しているのでは?」
「昔のような詰め込み教育が良いってこと?」
と、疑問を抱かれる方がいるかもしれない。確かに、意味も分からないのに「とりあえず覚えなさい」というような暗記偏重の指導はNG。けれども、知識を身に付けること自体は決して悪いことではなく、むしろ、思考力を養うには不可欠な要素だ。言葉を知らないのに思考することなどできない。
例えば、「思考力」は料理の技術であって、「知識」はその材料。 どんなに優れた腕前の料理人でも、食材がなければ料理はできない。 同じく、どんなに頭の使い方が上手でも、もとになる知識(語彙、文法、原理・原則、歴史的背景など)がなければ思考を巡らすのは難しい

「地頭の良さ」とは

「地頭の良さ」というのがある。知識はあまりなくとも、発想力、洞察力、ひらめき力といった力に秀でていること。でも、現場で見ていて思うのは、こういう力が備わっている子は、総じて知識が豊富にある(ごく希にそうじゃない子もいるけど)。「地頭の良さ」というのは知識があって成り立つものであって、決してそれだけでどうにかなるものではない。

知識は“世界”を広げる

「知っている」と「知らない」とでは大違い。知識があるというのは、“世界”を広げることにつながる。

・読んで理解できる文章が増える
・表現の幅が広がり伝わりやすくなる
・解き方のバリエーションが豊かになる

そして、知識は興味や関心を刺激する。例えば歴史上の偉人や出来事など、かつての入試ほど覚えることが求められなくなってはきているけれど、さまざまなことを知ることで、その偉人の伝記を読んでみたくなったり、史跡(城や神社仏閣など)に興味が湧いてきたりして、自分の人生観や世界観を広げるきっかけにもなりうる。

粘り強く考える習慣を

知識とともに身に付けたいのは「粘り強さ」。
分からないことがあれば、すぐにネットで検索、あるいはAIに相談し解決できる時代だけに、粘り強く考える習慣が身に付きにくくなっている。ちょっと考えてみて分からなかったらすぐ解答を確認する、というのではなく、時間の許す限り考え抜く、試行錯誤を繰り返す、そういう経験をできるだけ多く積み重ねることで、思考力は養われる。

思考力は大事。これからの時代、ますます求められるだろう。
でも、それは必要な知識あってこそというのを、
忘れてはならない。

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