子どもに「どうして勉強しなきゃいけないの?」と問われたら・・・?

「どうして勉強しなきゃいけないの?」

今も昔も子どもたちが一度は必ず口にする言葉かもしれない。かくいう自分自身も子どもの頃は何度もそう思ったものだ。でも、大人になって思う、勉強って大事だな、と。そして、この塾講師という立場となって二十数年、日々子どもたちと対峙する中で、何となく自分の中で確かなものとなってきた、勉強することの意義。数学の関数、歴史の年号、理科の化学式・・・学者や研究者にでも成らない限り、社会に出てから直接的に役立つことは希有だろう。でも、なぜ勉強するのか、それは、

「生きるため」
「自分自身を磨くため」

そう強く思うようになった。このことはかつてのブログ「なぜ勉強しなければならないの?」(2019.10.7)にも書いてある。

昭和を代表する文豪・太宰治。その著書「正義と微笑」にはこんな文言がある。

・・・勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!・・・

太宰治「正義と微笑」青空文庫より引用

※カルチュア:culture(文化、教養)
※カルチべート:cultivate(耕す、養う、洗練させる)
cultivate「自然を耕す」から「心を耕し、育て、洗練していく」へと派生し、cultureは文化や教養という意味になった。

自分の言葉ではなかなか端的に表現しにくかった「勉強することの意義」、まさにこういうことだなと。自分なりに解釈すると・・・
「エゴイストにならず、洗練された人間になるため」
不勉強な人というのは、自分が知らないこと、理解できないことを受け入れようとしない。なぜなら、知ろうとも理解しようともしないから。自分が知らないこと、理解できないこと、経験したことがないようなことは、全て否定する。それはエゴイストであると。そうならぬよう、カルチべートされた(洗練された)人間になれ、と太宰治は言っているのかな。

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