公立高校入試の国語素材文から

神奈川の公立高校入試の国語の素材文は、良文が多いなと思う。特に2024年度の問二の小説文では、試験中に受験生が涙してしまうのではないかというほど感動的な物語だった(感受性が豊かな子ならマジで泣く。女子なら特に。興味のある方はこちらをクリック。)。

では、今年はどうだったかというと、感動的な小説文ではなかったけれど、最後の資料読解で扱われた文は、まさに、これから高校という新たなステージに進む中学3年生に向けてのメッセージではなかろうかといった内容。以下はその一部。

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【文章1】
若いころにそういった感情に動かされるのは、けっして悪いことではなかったと思います。なぜなら、人は何らかの理由でそうした「背伸び」をしなければ、自分が知らない、分からないものに手を伸ばそうとする機会はなかなか得られないからです。
わたしがそうした未知の音楽に手を出してみようと思ったのは、自分がそれまで聴いてきた音楽はほとんどが同じ、狭い枠のなかに収まっているように感じ、そうではないものを求めたからです。
【文章2】
「真似る」というと安易な方法だと思うかもしれないが、まったく逆だ。やりたいようにやるほうが、よほど安易な方法だ。簡単にできた気持ちになる。自分のアウトプットと一流のアウトプットに雲泥の差があるのに、その差をじっくりと観察せずに済み、自分の心を守ることができるのが、自己流のやり方だ。
・・・中略・・・
真似することすらできない。そして、自分に何が足りないのかもわからない。
そんな「絶望」から、「真似る」は始まる。真似ないというのは、自分の「できない」に向き合わなくていいやり方だ。採点できないテストを受けるようなものとも言える。
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上記の文を読んでどう感じるかはそれぞれだけど、個人的には非常に共感できる内容。ちなみにこの「真似る」ことの重要性について、2017年の「『真似』の達人たれ!」という記事を書いてた。

ともあれ、合否に関わらず、受験することでこういう良文と真剣に向き合う経験ができるのは良いことだと思う。

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