主体性に任せてみる

「宿題」。子どもたちにとっては、いや~な響きだろう(笑)。かつて子どもだった今の大人もそうだったはず。宿題とは嫌なものだ。だってメンドクサイもの(笑)。でも、時流だろうか、そんな宿題というものに対する考え方が、教育現場では随分と様変わりするようになって久しい。親御様が子どもだったころは、○○ページから○○ページまでとか、所定のToDoがあったものだが、近年は“自主学習”という名の下、子どもの主体性に任せた宿題(?)なるものが多い。そう、何をやるかは子どもたちの自由。

「主体性に任せる」。聞こえはいいけど、何をやってもOKというのは、子どもによっては難しいものだろう。「何をしていいか分からない・・・」と、矛盾するようだけど、自由であればあるほど不自由に感じることも。ただ、このような学習が功を奏することもあって、たとえば、テレビ番組の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」は、大人顔負けの知識を身につけた子どもの“博士ちゃん”には毎回驚かされる。これこそまさに主体性、好きなことをとことん突き詰めていった賜物だろう。

子どもたち皆がこのようになれればそれは理想だろうけど、現実的には難しい。ゆえに、時流に逆らうようだけど、ある程度は指導する側が指示した方が良いと思っている。しかもここは学習塾だしね。ただ、直近の中1・中2の授業では、この主体性なるものを少しでも育てるために、宿題の出し方を少し変えている。

例えば中1英語。こちらが指示したページ+個々が必要と思われるページ(2ページ分)、という感じ。第4回定期テストは学年の総まとめ、範囲も広い。復習するべき内容も多く、それは個々に異なる。そのため、各自に考えさせた。「自分のウィークポイントは何かを考え、テストに向けて取り組んでおくべきこと」を。また、中2社会では地理・歴史いずれかで復習が必要と思われる単元を2ページ分指示している。

宿題はメンドクサイもの。
でも、メンドクサイこと、できればやりたくないようなことでも、やり切れる力は後々の人生で大いに役立つ。大人になると、やりたくないことでもやらなければならないことなんて山ほどあって、それを「やりたくないからやりません」「メンドクサイからやりません」なんて通用するわけがない。世の中そんなに甘くない。でも、子どもの頃にそういうことときちんと向き合って、やり切ってきた人というのは、責任ある、信頼される大人になれる。

でも、あまりにもこの主体性が幅を利かせすぎると、将来的に「やりたくないことはやらない」という人が増えすぎてしまわないかと危惧する今日この頃。仕事が長続きしない若者が増えている一因ではなかろうかとも思ってみたり・・・。その点で言えば、理不尽なことにも耐えてきた40~50代のいわゆるロスジェネ世代はある意味強い(笑)。

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