全く塾とは関係ないことですが、散歩ブログ(小田原城)

先日、天気がいい日に、授業が夜からだったので、教室に行く前に小田原駅周辺を散策してみました。こうやって小田原駅周辺を歩くのは久しぶりで、当たり前のことですが、昔と比べるとずいぶん様変わりしていましたね。

当然、小田原駅周辺を散策するなら、小田原城へも。

お濠周りを散策して、正面入口から、銅門(あかがねもん)、常盤木門(ときわぎもん)を通って、小田原城へと。

小田原城は桜目当てにくることはあっても、駅から歩いて向かうことは20年以上ぶり。当然、小田原城が新しくなってからは初めて行きます。散策コースの立ち寄り先としか考えていなかったのですが、行ってみると・・・、びっくり!

「休みの日に小田原城目当てに行っても良い」と思えるほど。昔の印象しかなかったので、天守閣から見る風景が素晴らしいことは知ってはいたものの、様々な資料があれほど充実しているとは。一つ一つ丁寧に見ながら階を上がっていきました。

そして、「今どきだな。」と関心したことはARの利用。「小田原さんぽ」といアプリをつかうと、今そこにない建物を仮想で見せてくれたり、小田原合戦時の陣形を見せてくれたりと、「こんなアプリがあったのか!」と初めて知りました。(小田原市民なら皆知っているのでしょうか???)

夜に高校生の授業があったので、ある程度の時間で小田原城を後にし、食事だけしてCLEARに向かいましたが、新しい発見があった散策となりました。

今度は「小田原さんぽ」ある散策のモデルコースをみながらブラブラしてみようか思います。

「失敗力」から「創造力」を育てる教育

この春から開校したロボット・プログラミング教室「未来ラボ」、やってみて面白い発見があります。

それは、「子どもは行き詰まっても、自ら解決策を見つけてくる。」ということ。

プログラミングと聞くと「難しそう・・・」と考えてしまいがち。特に大人はそうです。正直なところ、学校の先生でも必修化に向けて、「どうしようか・・・」と悩まれている方もいるかと想像します。

でも、「子どもは興味があることには、自ら試行錯誤してどんどん進めることができる。」ということに気が付かされました。「楽しい」というのもあるとは思いますが、子どもはどんどん進めていきます。時には教えたことよりも先に自分自身の力で進めることもあります。

プログラミングは一つ間違いがあると、そこでプログラムが止まることがあります。そんなときに、何が違ったのかを発見し、修正していくことが必要になります。当初はアドバイスが必要なこともありましたが、今では大抵のことは自ら修正できようになりました。

KOOVを手がけている、ソニー・グローバルエデュケーションのアピール動画のなかにも同様なことを言っているものがありました。
「子どもは失敗を気にしない。もうちょっとのところで上手くいかないとなると、大人であれば崩すのはもったいないので、9割できたところからいかに10割にするかってところに一生懸命になる。でも、子どもはちょっと違うと思うと一気にバラバラにしてゼロにしてします。子どもたちは何度も何度も上手くいくために試行錯誤を繰り返す。」
プログラミングを学ぶ生徒をみて、この動画と同じようなことを感じています。

「失敗力」から「創造力」を育てる教育。

なるほど。試行錯誤しながら、失敗から答えを見つけられるように育てることが大切だと感じている最近です。

無様でも立ち上がれればそれは生き様に変わる

学力・成績向上、志望校合格。塾として最低限の責務であるとともに、学習指導を通じて、子どもたちに伝えたいことがいくつかある。その一つが、ダウンしても立ち上がれればそれは決して無様なことではなく生き様になるということ。

間違いや失敗というのは、おそらく誰にとっても経験したくないことだろう。だから、間違えないように…失敗しないように…、と慎重になる。決して悪いことではないけれど、慎重になりすぎるが故に、動けない、動こうとしない、ではより良い自分には決してなれないとも思う、個人的には。

まずはトライしてみる。そんな姿勢が欲しい。そういう姿勢の有無は、日々の宿題の取り組みやテストの答案からも見て取れる。分からなくて答えを写してきた子or分からなくてもとにかく何か書いて間違いを修正してきた子、無解答が多い答案用紙orびっしりと書き込んである答案用紙。それぞれの前者は、言うなればバッターボックスに立てどもバットを振らないということだ。それではいけない。三振でも何でもとにかくフルスイングできる子であってほしい。振らなければヒットやホームランはおろか、当てることすらできない。努力もまた然り。それが全て報われるかと問われれば、現実的にそれはNoだろう。だからといって、努力なしで報われることもない。宝くじのようなものだ。買わなければ当たることは決してない。

間違える、失敗する、そしてダウンする。できればそうありたくはない。でも、それらから学べることはたくさんある。むしろ、何もしないことよりも、それらからの方が学べることは多く、大きいはず。肝心なのは、その学びを糧に立ち上がり、より強くなろうとすることだ。

たとえ間違え、失敗し、ダウンしたとしても、そこから学び立ち上がることが出来れば、無様は生き様に変わる。

中途半端が一番良くない

試験が近づいてきました。

中1にとっては初めてのテスト。何も言わずとも緊張感をもって挑めるのでは。特にCLEARの中1生は頑張れる生徒が多いので、しっかりとした準備をしてくれるはず。

中2は、世間では中だるみの学年と言われることもあります。中2病という言葉もあるように心配な時期ですが、それが逆にチャンスです。自分さえしっかりしていれば、成績を大きく伸ばすのがこの時期です。

そして、中3、受験学年です。それぞれが自覚を持って取り組めるはず。中2の頃と違うのは、周囲の意識も高くなってくるということ。自分は頑張っているつもりでも、周りもがんばるので、これまで以上に頑張らなくてはいけない学年です。

それぞれの生徒が、高い意識を持ち試験まで過ごしてくれるはず。

そして我々、塾講師の使命!それは「生徒に結果を出させること。」そのためにできることは何でもやる。授業で教えることは当たり前、授業外での質問対応も大切。「教える」だけではなく、やる気を出せせるための声かけもすれば、厳しいことも生徒に言う。

そして、近年、大切なことは、やるべきことの選別。

近年、机間循環をしていたり、質問対応をしていると、少し的はずれな学習をしている生徒を見かける。試験範囲もあるし、「これくらいは自分で考えてできるであろう」と生徒に任せていると、試験前の大切な時期なのに、もったいない時間の使い方をしている生徒がいます。だから、個々の得手不得手を考慮したり、習熟度を加味して、やるべきことの選別をしてアドバイスしていくことが大切になってきたと感じています。

例えば、生徒が学校や塾の共通の問題集を持っていたとしても、問題を選抜してあげて、個々の生徒がやるべき問題を選別。あれこれやって、中途半端に終わらないようにナビゲートしてあげることも我々の仕事の一つです。

大人数の大手塾ができないようなところに、目が行き届くようにアドバイス(カウンセリング)しながら進めることができるのが、CLEARの強み。

次のテストもその強みを生かして、生徒には最良の学習環境の提供を目指してゆく。

中学英語のテコ入れ

今年度より始めたCLEARの新たな挑戦は、

未来ラボ(小学生プログラミングコース)
自立学習ジム(高校生クラス)

大きな取り組みとしてはザックリとこの2つ。これら以外にも細かなことを挙げれば、eトレ個別演習や小学生新聞の導入などもあるのだが。

そこで、俺(長谷川)個人の教務的な新たな(…というと大袈裟なんだが)取り組みも。それは、中学生英語の教科書本文指導を復活させたこと。塾講師になりたての頃、英語の授業は文法指導と教科書本文指との二本立てだった。けれども、高校受験が学力検査重視に傾き始めた頃から、授業を文法指導のみとし、実力錬成に重きを置いた授業スタイルに切り替えた。前職時代晩年(?)からそのスタイルを続けてかれこれ5~6年程になるのだが、思い切って教科書本文指導を復活させた。理由はいろいろあるのだが、第一の理由としては、Speaking=音読の時間を増やすためだ。

CLEAR中学部の授業は各科目50分1コマ/週が基本。故に文法も教科書本文もとなると、かなりタイト且つハイペースで進めなければならないのだが、そこはご安心を。一工夫してあります。

神奈川公立入試の膨大な英文量、4技能が求められる新大学入試、より一層、英語の総合力を身につけていかなければ!と思った故の英語指導のテコ入れ。読めれば書けるようにもなる。また読むことで実は聴く力も鍛えられる。短時間・短期間で効率よく、も必要なことではあるけれど、そこを突き詰めすぎると肝心なナカミが残念になることも多々。

授業が良ければ全て良し、ではなく、成果・結果が出てナンボであるのが世間の目。とはいえ、成果・結果さえ出ていれば授業内容=過程は何でもアリ、とも思えない。授業はやはり学習塾が学習塾たるうえでの根っこであるようにも思う。再び原点に立ち返り、少しでもいいものを子どもたちに提供していけるよう努めていきたい。

「得意科目を伸ばすべきか?」それとも「苦手科目に時間をかけるべきか?」

「得意科目を伸ばすべきか?」それとも「苦手科目に時間をかけるべきか?」

よく生徒から聞かれることです。

昨日のブログでは、「令和の塾はこうなっていくのではないか??」とAIが入ってくる話を書きましたが、少し気になっていることがあります。

いろいろ便利になりすぎて、「見たいものしかみない」「やりたいことしかやらない」ということができてしまう世の中になってきている。

近年のコミニュケーションの特徴だとは思いますが、インターネットが当たり前になり、多様性がある時代になったように見えますが、実際は「見たいものしかみない。」ことができるようになっています。

ニュース記事もPCやスマホで見ると、自分の興味があることが、自動的に検索されます。これは便利に見えますが、自分が興味、関心がないことに、大切なことがあったりします。知らないことを勉強するからこそ成長もします。それが便利になったことで、実は「大切なことができなくなってきた」と感じています。

話を戻します。

「得意科目を伸ばすべきか?」それとも「苦手科目に時間をかけるべきか?」

学年や時期にもよりますが、結論は両方です。手っ取り早く点数を上げるならば、「得意科目」の方が早いかもしれません。伸びしろを考えれば「苦手科目」の方があると思います。

大切なことは「やりたいことだけやる」または「やれる」ようになった世の中だけに、自ら選ぶだけではなく、これまで社会がやってきたことに従って学ぶことも重要なことです。

だから生徒には「得意科目」も「苦手科目」もどちらも一生懸命に取り組むように、と聞かれれば伝えています。

「得意科目」で自信を育むことも、「苦手科目」をやれる心を育むことも、どちらも選ぶことはできるわけなく、どちらも大切であると考えます。

個々の習熟度や試験までの時間を考慮して、優先順位は考えなければいけないでしょうが、選ぶことのできない2つです。

令和になりました

本日から令和となってからの講義が始まります。最初は令和になることを、自分の中では大きなこととは捉えていなかったのですが、世間の様子を見ていると、「時代の変わり目」ということを実感せずにはいられなくなってきました。ゴールデンウィーク10連休も含め、非日常感のあるここ数日であります。

昭和を思い出しても、平成を振り返っても、自分自身の環境も、世の中も大きく様変わり。こうやってくると令和もあらゆることが大きく様変わりしていくはず。どんな未来になっていくのでしょうか。

身近なところでは塾はどうなるのか?

教育はどうなるのか?

平成の30年間をみても、大きなところでは「ゆとり教育」があり良くも悪くも、大きな変化がありました。昭和の頃まで戻れば、竹刀をもっている先生も当たり前のようにいました。今とは全く環境が違います。

では、令和は??

どんな風に塾業界が変わっていくのか、今はわかりません。でも、AIはどんどん入ってくるでしょう。もう既に、社会にも家庭にもAIが多く導入され身近なものになってきました。便利になりすぎて受け入れられない方も世の中には多くいると思いますが、この流れはおそらくは止まらないと思います。

教育の世界でも少しずつその導入が始まってきたのが、まさに平成末期からこの令和にかけて。これから様々な形で利用していくことになるでしょう。今は学校では先生が同じ教科書を使って、一様な内容を黒板を使って指導しています。それが、AIが先生の代わりとなり、それぞれの子どもに合わせたカリキュラムをつくり、より習熟度に合わせた指導が行われるかもしれません。

「教育の本質は今も昔も変わらない」という方もいます。それが正しいのか、それとも変わっていくのか。常にアンテナをはりながら、より「生徒のためになることは何か?」を模索しつづけていかなければならない時代になっていくことは間違いないと日々考えさせられます。