我が子を想う親御様のその気持ちは尊い。でも…

もちろん賛否両論があり、全てに当てはまるわけでは決してないけれど、いわゆる“子育て”について個人的に思うことをつれづれに…。

よく親御様から相談されることの一つで、

「子どもの勉強を見てあげられていないんです。」

という類のものがある。なるほど、と思う反面、ちょっと待って下さい、とも思う。
というのも、小学生ぐらいならまだしも、中学生や高校生になってまで、親が子どもの勉強にアレコレと事細かに口を挟むべきじゃない。というのも、

自立心が育ちにくくなってしまう。

最近では就職試験や面接などにも親がついて行くなどということも珍しくないらしい。にわかに信じがたく、正直絶句してしまう…(汗)。

我が子を想うその気持ちは尊い。でも、一歩間違えると、それは決して子どものためにはならず単なる“過干渉”になってしまう。言い換えれば、子どもがやっていることに必要以上に干渉して、無意識のうちに親が子どもの行動すべてを管理・コントロールしようとしてしまう、ということ。
「子どもをあらゆる面で管理しようとしてしまう」
子どもに対して学校の時間割や習い事、または持ち物まで、全てのスケジュールを親の方で管理してしまい、子どもが自由に行動できない状況を作ってしまう。また、子どもが「こうしてみたい」と考えていることも、「絶対に失敗するから駄目」と頭ごなしに子どもの意見を否定してしまう。
「過程を認めずすぐに結果を求めてしまう」
親に言われた通りにやって、すぐに子どもが成果を出せればいいのだけれど、子どもが自分で考え行動するペースに待ちきれず、すぐに口を挟んでしまう。親からすればそれは自分の感覚によるものなので、「干渉している」とは全く考えないけれど、子どもからすれば「すぐに口を挟まれる」「何かにつけて口を出してくる」と感じるはず。ここはグッと堪え、過程にも目を向けてほしい。親にしかできないことなのだから。

結果として、過干渉な親の子どもは以下のようになりがちだ。

「無気力になりやすい」
自分の好きなことを思う存分やったり、自分が将来どうなりたいのか・自分の好きなことは何かといったことを考える機会がそれまでにほとんどなかったため、大人になってもいわゆる「指示待ち人間」、無気力な人になってしまいがちだ。
「すぐにイライラする」
親心から「子どもには失敗してほしくない」という思いは当然のことのように思う。けれども、全てうまくいくように子どもに働きかけてきた結果、子どもは幼い頃に「自分で考えてやってみた結果うまくいかない」という経験をすることが少なくなってしまう。そうなれば大人になってから仕事を任されたはいいけれど、上手くいかなくなるとすぐにイライラしてしまう。
「自分で判断できない」
過干渉な親の子どもは、考え方の善悪や行動の良し悪しを全て親が判断してきたので、大人になってからも自己判断で物事を決めることができなくなってしまう。そのため、大人になってからも仕事やプライベートでも何かを自分で判断しなければならない時に、その判断方法が分からず、いつまでも経っても決められず、自力で先に進めない傾向にある。結果として、依存体質に陥ってしまう。

勉強面に関する少々の干渉は、学生のうちまでなら通用するだろう。でも、社会に出てからは通用しなくなる。子どもはやがて親元から離れ、厳しい社会に揉まれながら自立して生きていかなければならない。

子育てに悩む全ての親御様へ…
「見守る」が「監視」になってはいけません。愛情と過干渉とはややもすると紙一重かもしれませんが、我が子を想えばこそ、少し距離を置いてみてはどうでしょうか。傷や痛みを知る経験というのは、必ず生きていくうえでの糧になります。「少々のことは目をつぶる」「見てないようで見てる」くらいの方がちょうど良いような気がします。

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