提出物

「提出物」について思うところを…。

基本的に私はワークやら問題集やらの「提出」は必要ないと思っている。

まず,ある程度力のある子や普段から真面目に取り組んでいる子にとっては,必要と思われる箇所を集中的に何度も反復することで,さらに力がついてくると思うのだが,これらワーク類が提出を義務づけられており,さらには成績に反映されることで「やらざるを得ない」状況になるということ。はっきり言ってしまうとそういう子にとっては必要のない問題まで解かなければならなくなる。その時間があればもっと高度な内容や苦手教科の勉強に費やせるだろうにと思ってしまう。こうでもしなければ,ろくに勉強しない子がいるからそうしているのだとしたら,それは「ちょっと待て」と言いたくなる。ということは,定期テストがある度に,「いつもさぼっている子」を救済するために,「いつも頑張っている子」に我慢させているってことにならないか?

次に,全てとは言わないが,ほとんどが解答付きで,自分で丸つけ・間違い直しをして提出させるという形である以上,いくらでも不正は働けるということ。極端なことを言ってしまえば,解答を丸写しする子もいるだろう。また,丸写しだと全問正解になってしまい,ちょっとずる賢い子は先生に見抜かれないように適当に間違えて提出するだろう。百歩譲って,丸写しでも何でも,例えば英語や社会なら書けば単語や用語を少しは覚えるから良しとしよう。ならば成績に反映させるべきではない(しかも1段階も2段階も)。真面目に一生懸命1つ1つ解いて,しっかりと丸つけと間違い直しをしてきた子と,テスト前にサーッと解答を写して適当に間違えた子と,両者が同じような評価をされるのは間違っている。

こういうわけで,ワーク類は提出を義務づけず,テスト問題はその中からいくつか出題すると明示して,取り組みの跡をみてあげた方がよっぽどいい。やれば点が取れるし,やらなければ点が取れない,そういうテストにすればいい。やるかやらないかは本人次第なんだから。それで評価されるのは仕方のないことだ。

塾でも課題提出を義務づけることは多々ある。しかも丸つけ・間違い直しを含めて。でも、それでいいと思っている。塾は学校とは違う。進学に関わるような成績をつけることはないのだから。成績をつけるためではなく,力をつけてもらうために課している。だから,問題ない。解答を丸写ししているかそうでないかは,いつものその子を知っていれば大抵は分かるし,不正をはたらいていると分かったときは強烈に叱るまで。または,丸写ししても何にもならず,ただ時間を無駄にしてしまったことを憐れに思うだけだ。もちろん,学校の中には,力をつけてもらうことを目的として提出を義務づけている先生もいるだろうが,一方で,そういう強制力をもってしなければ,成績がつけられないとか,指示にしたがってもらえないとかっていうのもあろう。

中には提出物そのものを一切課さない先生もいる。ここまで述べたから分かるだろうけど,私はそういう先生の方が好感が持てる。きちんとワークもあるのだが,提出は求めず,もちろん義務づけもしない。あくまで,テスト前に勉強すべき範囲として明示するだけ。あ~何ていい先生だろうかと思う。きっとそういう先生は分かってんだと思う。私がここに述べてきたようなことを。

ここで結論。
ワークや問題集の提出は本来的な目的から考えると必要なし。あくまで本人の意思で取り組むべきもの。我々大人がすべきことは,そのワークなり問題集なりに取り組むことがどれだけ有益かを子どもたちに説き,きちんと取り組むことでそれが結果に反映されるテストを作ることである。
(私個人的にはそうは言っても,塾としては提出するように注意は呼びかけますよ。それがダイレクトに成績に反映されるなら。私心は持ち込みません。)

1つ補足。レポートや作品を提出させるのは非常に良いことだと思う。誰かのを真似をすれば一発で分かってしまうから,ワーク類と比べたらかなり公正に評価されやすい。それに,自分で調べたり考えたりする力を養うにはいい機会だ。

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