生活習慣

生活習慣がしっかりとしている子が出来るというのはよく言われることだ。でも本当にそう思う。

例えば、朝ご飯をしっかりと食べるには朝きちんと起きなければならない。そのためには、夜更かしをしているとそうもいかない。できるだけ早く寝ることを心がける。早く寝るのだから、その前にやるべきことをきちんと終わらせる。つまりは計画性に基づき規則正しい生活が遅れている。また、家に帰ってきてクツをきちんとそろえ、「ただいま」を言う。挨拶がしっかりとできる。当たり前のことだが、ついつい億劫になりがちなそういうことをきちんとできる子は、継続力や忍耐力が備わっているということ。また、数学が不得手な子は、算数の段階、もっと言ってしまえば基礎的な計算力が備わっていないことで壁にぶつかることが多い。なぜなら、練習を怠ってきたからだ。同じような計算問題を繰り返し練習するということを、面倒くさがってしてこなかったからだ。面倒くさいのは、他に自分のやりたいことがあり、それらばかりを優先してきたからだ。算数は、できるようになると少し勉強が全般的に出来るようになったという実感を得やすい教科だ。あくまで小学校低学年までだと思うが、「あの子はできる」と言われるような小学生は、たいてい出来るのは算数ではなかろうか。たとえ算数だけであったとしても、それは自信につながり学習意欲向上の一助になるのは間違いない。

親や学校の先生以外の大人と話す機会を多く持つことも大事だ。そういう機会を通じて、当たり前の言葉遣いや礼儀、そして考える癖を自然と身につけていくものだ。親や学校の先生は、その子の性格や人間性をよく知り得る立場にあるが故に、どうしても、その子の立場に立った話し方をすることが多くなる。子どもに理解しやすく話す。もちろんそれは必要且つ大事なことだが、それと同様に、子どもの方が相手側の気持ちや言葉の真意を読み取ろうとする立場で会話をすることも大事。そこで考える癖がつく。そのような、大人とのコミュニケーションをとる機会こそ地域社会の役割だろう。しかし、地域の繋がりが昔と比べて随分と減ってしまったことが、子どもが言葉を使う機会を少なくさせてしまったように思う。だから、コミュニケーション能力が低下し、自分の言いたいことが伝えられず、また相手の言いたいことも理解できない、表現力、理解力の低下、つまりは国語力の低下を招いているような気がしてならない。

規則正しい生活習慣を身につけ、大人と会話する。机上の勉強だけが勉強ではない。

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