指導現場でヒシヒシと感じる学力格差…。

中学社会の授業をしていて驚くのは、その知識量の格差だ。例えば、イギリスの場所が分からないとか、誰が鎌倉幕府を開いたかを知らないとか、結構ザラにいる(汗)。一方、このようなことは一般常識として普通に知っている子もいるわけで…。

子どもの主体性に任せる時代。指導現場では、半ば強制的に覚えさせるであったり、解けるようにさせるであったり、そういう指導ができにくいのが現状だ。かつてのように学校の先生に居残りをさせられたり、宿題をたっぷりと出されたりというのは今は昔。だから、子ども自身が自分に厳しく、覚えるべきものはきちんと覚える、というような自律の姿勢が求められる。とは言え、「やる子はやるし、やらない子はやらない」も致し方なし…というのも、酷であろうと正直思う。

子どもにとって勉強の動機なんて、「テストがあるから」「成績に関わるから」というのがほとんどだろう。もちろん理想は自ら関心を持ち学ぼうとすることだが、人にはどうしても得手不得手、好き嫌いがあるものだ。テストがあるから、成績に関わるから、嫌でも勉強する。高校以後は自己責任の下、各々の判断に任せれば良いが、中学までは義務教育。社会に出て困らぬよう、最低限の知識や技術は、周囲の大人が半ば強制的にでも身につけさせるべきであると、指導現場でそのような状況をリアルに感じていると、そう思えてならない。

別に博識になってほしいわけじゃない。最低限の、一般教養としての知識ぐらいは、きちんと身につけさせたい。そのうえで、高校進学後は、自分の興味のある分野を重点的に学び、どんどん伸ばしていってほしい。

プライベートですみません(^^ゞ~切なくも大事な三月~

久しく投稿していなかったプライベートブログ。
今回はかなり真面目に…。

昨日、3月19日は恩師の命日。
今年も無事に墓参りに行くことができた。

この学習塾という世界に飛び込むきっかけを与えてくれた人。俺にとって、先生でもあり、上司でもあり、そして、人生の師でもある。
決して裕福ではなかったけれど、中学生の頃は小規模塾…というかほぼ個人塾(?)に通わせてもらっていた。そのときの塾長だった人。厳しく、怖い先生だった。でも、どこか温かく、頼りになる先生。
その後、縁あってその塾の講師としてアルバイトをさせてもらえるようになり、塾の世界にどっぷりとハマった(笑)。途中、某私立高校で非常勤講師の掛け持ちもしていたが、何がきっかけだったか忘れたけれど、塾の方が向いていると感じ、いつの間にやらこの世界で生きていくことに決めた。

塾講師として、男として、人としてどうあるべきか。
言葉ではなく、背中で学ばせてもらったような人。

奇しくも俺が前職を辞することになった同日に亡くなってしまった。今から9年前のことだけれど、恩師のこと、自分自身のこと、あまりにも衝撃的過ぎて、今でも鮮明に覚えている。それから毎年欠かさず、命日には墓参りに行っている。

3月はもう一人、大切な人との別れがあった。

父が亡くなったのも3月。
ちょうど三回忌を迎えたばかり。

基本的には温和な人だったが、キレたらヤバかった。高校生の頃に一度、遊び回って夜中に帰ってきたときには、鬼の形相で木刀を持って待ち構えていたのを今でも覚えている(汗)。十代後半から二十代前半頃にかけてはケンカばかり。話すことも、顔を合わせることすら嫌だった。
最期は病院ではなく家で迎えたいと、生前からそう強く望んでいた父。だから、身体に大きな負担のかかる延命治療はお願いせず、あくまで生活の質を維持することを優先し、訪問看護や介護の方にお世話になりながら、最期まで自宅で過ごした。俺自身も何かあったときにはすぐに駆けつける日々が続いた。
昭和のオヤジを絵に描いたような頑固者。母ともケンカばかりで、手を上げることもあったが、最期に「お母さんを頼むぞ…」と言い残して逝った父は、やはりナンダカンダ言いながらも母を想っていたのかな…なんて息子ながらに思う。

だから3月は、
少し切なくも、
大事な月。

高校無償化について考えてみた

先日なかなか興味を引いたニュースを目にしたので、少しばかり記事にしてみようかと。いわゆる高校無償化に関わるニュース。関心のある方は以下のリンクを是非。

大阪の府立高校入試『75校中35校で定員割れ』高校授業料の無償化など影響か 吉村知事「再編しながら質を高めていく」

授業料無償化で人気低迷の「都立高」意外な優位性 私立単願に落とし穴、「指定校推薦枠」にも注目

自分は決して、お偉い政治家でも、崇高な理念を掲げる教育者でもないので、アアデモナイコウデモナイと教育論を語るつもりはないけれど、あくまで塾講師の立場として思うところを述べたいと思う。
大事なのは、公立私立問わずの無償化というのはメリット・デメリットが多分にあり、それらを客観的に捉え、冷静に判断しなければならないということ(教育のためならアレもコレもと、関連あるニュースを引き合いに出しては、考えもせずに無節操な主張をしている関係者の方もいるようだけど…汗)。

の記事は確かに驚いた。公立高校のおよそ半数が定員割れという衝撃。大阪府の高校についてあまり明るくないのだが、少し調べてみたところ、「寝屋高」の略称で知られる大阪府の伝統ある進学校の一つ、寝屋川高校(偏差値68)が定員割れを起こしたとのこと。偏差値68といえば、神奈川でいうところの柏陽や厚木、いわゆる進学重点校と同等の高校だ。今回の定員割れを受けて、「異常事態」「寝屋川ショック」などと地元では波紋が広がっている様子。地元の小田原高校が定員割れを起こすことと同じと考えると、にわかには信じがたい事態だろう。また、大阪ほどではないけれど、東京でも都立高の4分の1が定員割れだったのは記憶に新しいところだ(詳しくはこちら)。とは言え、私立も含めて無償化ともなれば、このような事態が起こるのもある程度は予想できたはずなのだが…。ともすれば、来年にも大阪や東京のような事態が神奈川で起こっても不思議ではない。特に相模川以西の高校では、現時点でも定員割れを起こしている高校が散見される。湘南・横浜への流れが著しいが、県西部には頑張ってもらいたい。

も塾講師の立場としては確かにうなずける。特に神奈川の私立高校は、推薦・単願(いわゆる第一志望)、併願(いわゆる第二志望)いずれも、中学校の成績で一定の基準を満たせば合格が確約される仕組みになっている(一部の私立高校は除く)。なお、その中学校の成績というのが、二期制でいうところの中3後期中間試験、三期制でいうところの中3二学期期末試験までの結果で評価される成績(いすれも11月中旬)。要するに、私立を第一志望とする受験生は早々に受験勉強から開放されるのだ(おそらく親御様も「少しでも早く安心したい」というのが本音だろう)。一方、公立を第一志望とする受験生というのは、年末から入試直前期にかけて猛烈に勉強し、飛躍的に学力を伸ばしていく。たった2ヶ月~3ヶ月の差だが、この期間に懸命に勉強したかどうかが学力に雲泥の差をつけ、高校入学後の勉強にも大きく影響してくる。これ本当。もしくは、公立チャレンジ志向の受験生が増えるというのも考えられる。今までは、経済的な事情から私立は厳しく、公立をどうしても下げざるをえなかった受験生が、この無償化を機にワンランク上の公立にチャレンジする流れも起こるかもしれない。それにより結局は公立下位校の定員割れが起こってしまうだろうけど。

以上のことから予想されるのは、
から、定員割れにより一定の学力を満たさずとも入学できる高校が増える
から、いわゆる受験勉強をほぼすることなく高校に入学する生徒が増える
特に私立が多い都市部。

教育の質の向上が目的であるとするならば、むしろ学力低下を招いてしまいかねないのではないかとさえ思う。それでも、「優れた学校だけ生き残れば良い!淘汰されていくのも致し方なし!」「勉強する子はする、しない子はしない、格差が広がるのも自己責任!」とするか否かは人それぞれ。大事なのは、先述したとおり、“きちんと考える”ことだ。
教育に投資するのは大賛成なのだけれど、個人的には、そのような高校進学への支援よりも、給食費の完全無償化とか、大学進学のための支援拡充とか、の方が大事かな、なんて思う。特に私立大学の理系学部はえぐいほど金がかかる。学部学科によっては家一軒建てられるほどだ(汗)。

さてさて。
では、これを読んでくれた中高生の皆さんへ。
大事なのは、与えられた情報から、「自分で考え、判断すること」。
上記①②の記事を読んで、高校無償化に賛成か反対か、400字詰め原稿用紙に意見を記述してみてください。提出してくれたら責任をもってきちんと添削します(長谷川宛)^_^
【基本的な書き方】
次の①~③の三段落で書いてみよう。
①まず結論(賛成か反対かの立場をはっきりさせる)
②理由(具体例を挙げながら)
③改めて結論(「だから」「したがって」などの書き出しで)

原稿用紙は以下リンク先よりダウンロードできます。
400字詰め原稿用紙(PDF)

学校現場で日々奮闘している教え子へ…!

かれこれこの塾講師という仕事に携わらせてもらって早20数年…。これまで様々な子どもたちと接してきた。今では大学で研究に励んでいる教え子、仕事の第一線でバリバリ働いている教え子、結婚し子どもを設け幸せに暮らしている教え子…と様々いるわけで…。

その中には、学校の先生として日々奮闘している教え子もいる。充実した教師生活を送っているであろう一方、やはり大変そうな現場でもある(学校の先生方には本当に頭が下がります)。葛藤することも多々あるだろう。たかが一塾講師、おこがましいにも程があるのは重々承知の上だが、学校では程なく新年度を迎えるに際し、もしこのブログを読んでくれる機会があるなら…自分なりのエールを送りたいと思った次第。

「友だちのような先生」がウケる時代になって久しい。楽しそうにじゃれ合っていて、とても賑やかな様子だ。一見、教師と子どもたちは仲が良さそうで、微笑ましくも思う。しかし、このような教室は崩壊していく可能性が高い。しばらくすると教室がガヤガヤと騒々しくなる。やがてクラスの秩序が乱れ始め、授業が成り立たなくなり、落ち着いて勉強する雰囲気では到底なくなっていく。あんなに教師と子どもたちが仲良くしていたのに…と不思議に思われる光景。崩壊するカラクリは、「友だちのような先生」になったことで、何でも気軽に話しやすくなったことにある。

子どもたちは、別に教師と気軽に話せることを望んではいない。子どもは、「教室を安全で安心できる居場所にしてくれる」教師を望んでいる。「子どものことを真剣に考え、問題や悩みを抱かえたときに、きちんと向き合い対処する方向を示してくれる」、潜在的にはそんな教師を望んでいる。「この先生なら大丈夫」という安心感が生まれたとき、初めて子どもは教師を信頼する。気軽に話せることは、子どもとの良好な関係を保っていくには大事なことだが…

気軽さが子どもとの信頼関係を生むのではない。

ここを誤解してしまうと、先に述べたような、いわゆる学級崩壊に近い状態になりかねない。だから、教師と子どもとの間には、毅然とした一線を確保しておくことを第一に考えなければならない。「厳しい教師」というのは近寄りがたく感じるかもしれないが、嫌っているというわけではない。「近寄りがたい」と「嫌い」とは違う

子どもは、優しさと厳しさとの両面を兼ね備えた教師を信頼する。ただ、誤解のないように言っておくと、

「優しさ」が「甘さ」になってはいけない。

良くない言動もつい許してしまうのは「甘さ」であって「優しさ」ではない。そのような「言動=表出するもの」に対してではなく、子どもの内面を見つめ認めるのが「優しさ」だ。冗談話をして笑わせるときもあれば、厳しく怖いと思わせるときもある、そんな教師。教育現場のみならず、スポーツの世界でも、強いチームやそれなりの実績を上げているチームというのは、やはりコーチや監督などが、一定の厳しさをもっているものだ。

今の時代にはそぐわないことを言っているのかもしれないけれど、この20数年の経験から、そう思うところは多々ある。子どもたちを取り巻く教育環境が変わってしまっただけで、子どもの本質的な部分はそう変わってはいない。

学校という現場であれば、もちろん子どものみならず、親御様のことで悩みを抱えることも多々あろう。中には…
常識のない言動をされる親御様、
筋違いなクレームを言われる親御様、
自分の子さえ良ければいいという親御様、
…様々いらっしゃるだろう。でも、でもだ。全ては我が子への深い愛情あればこそ。歩み寄れるときは歩み寄り、うまく距離感とバランスとを保ちながら頑張ってほしい。何より大事にすべきは、今、目の前にいる子どもたち。学校のためでも親御様のためでもなく、子どもたちのために。それだけはどうか忘れずに。

偉そうなことを述べてきた割に自分はどうなのか?と問われれば、未熟も未熟、半人前もいいとこだ。それでも、昨日より今日、今日より明日…と半歩でも前進し、成長できるよう自戒と試行錯誤の日々。

何が正解か分からず俺も年がら年中もがいてる(汗)。
でも、それでいい、というか、そうでなくてはいけないとも思う。
マニュアルなんてない。
だから、ガンバレ。

「レールを敷く」ではなく「選択肢を示す」

中3受験生の戦いも程なく終わりを迎える今、これから受験学年となる中2生、そして、進学を意識し始める中1生、それぞれの親御様へお伝えしておきたいことがあります。
釈迦に説法で恐縮ですが、お子様の高校受験が意義深いものとなるために、少しだけお付き合いいただければ幸いです。

高校受験。最終的にはお子様本人の意思を可能な限り尊重してあげてほしいというのが、弊塾の考えです。公立か私立か、普通科か専門学科か、あるいは総合学科か…。親御様が高校生の頃とは違い、今は公立でも多種多様な高校があるため、どこを選んだら良いか…難しいところもあります。
受験生といえど、まだまだ15歳の子ども。ですから…
「部活が楽しそうだから」、
「先輩の人柄が良さそうだから」、
「行事が盛んだから」
など、どこか抽象的で、「それってどの高校でも同じようなもんでしょ?」と言いたくなるような動機であることが多いのが実際のところです。とは言え、親が主導権を握ってアレコレと先回りし過ぎても、本人の主体性が損なわれてしまいます。ですから、親御様に心がけておいていただきたいことは、

『子どもの視野を広げてあげること』

経験値の乏しい子どもの視野が狭いのは当たり前のことです。そんな子どもは、高校の「入口」にしか視野が及ばないことが多々あります。入口=偏差値・成績、つまり、「どれくらいの成績で入れるのか?」です。ですから、そこで親御様から示してあげてほしいのです。「入口」だけではなく「出口」のことも。
そう、出口=高校卒業後のことです。
卒業後は大学進学を希望するのか、専門学校か、あるいは、就職か。高校に入学すらしていないのに卒業後なんて…と子どもは思うはずです。ですから、親御様には、その選択肢を示し、子ども自身が考える機会を与えてやってほしいのです。

『レールを敷くのではなく選択肢を示す』

これが最も大事であると考えています。
出口について話しても、「そんなのまだ分からない」ときっと言うでしょう。それでも、です。粘り強く、タイミングを計りつつ、話す機会をもってほしいと思います。将来の夢なるものがはっきりとしている子ならまだしも、そうではない子がほとんどだと思います。いえ、むしろ、それが普通だと思います。でも、だからこそ、この高校受験を一つの機会にしてほしいのです。

朧気ながらも自分の未来像を思い描く機会に。

↓こちらの記事もご参考いただければ幸いです↓
入口の偏差値だけで志望校選びをするのは早計

公立高校入試2025 学力検査を振り返る

公立高校入試・学力検査が終わった。
まずは中3受験生の皆さん、お疲れ様でした。
でも、特色検査が残っている子。
まだまだ戦いは終わっていない。
今年は土日を挟んで行われるこの特色検査。
この2日間の使い方次第で逆転は大いにあり得る。
気持ちのスイッチを切ってはダメだ。

では、学力検査に関して、少しばかり私見を。

英語
昨年よりも長文がかなり読みやすくなった。というのも、問6は中学生にも分かりやすい内容だったし、問8は登場人物が昨年の4人から3人になり、選択肢も絞りやすかったのではなかろうか。問5の英作文は昨年同様に間接疑問文。前半の語彙・文法問題(問2~4)でやや難しい問題が散見されたけれど、先述の長文の易化の方が大きい気がする。
というわけで、昨年より易化かなと。

国語
漢字の読み取りの「諮(はか)る」が難しかったかなとは思うけど、それ以外は昨年よりも易しかった。問5の複数文による読解も、昨年が「偶有性」というキーワードを別の表現から探す必要があったが、今年はキーワードを含む文をそのまま記述すれば出来る問題であったため易しかったのでは?「記述ムリ」と端から捨ててしまった子はもったいなかったかな。
というわけで、昨年より易化かなと。

数学
専門外なので分からないが、理系担当曰く、高難度の問題が増えたとのこと。これらを割り切って捨てることができた受験生は大きく点数を落とすことはなかったかもしれないけど、ハマってしまった受験生はガクンと点数ダウンしてしまったかも…。
というわけで、昨年より難化かなと。

理科
これも専門外なので何とも言えないのだが、理系担当曰く、問1ののっけから難しい問題であったらしく、ここで「今年は難しい…!」と構えてしまった子は思うように力を発揮できなかったのでは?とのこと。ただ、それ以外は例年並みか…ということらしい。
というわけで、昨年並みか、やや難化かなと。

社会
地理では3地点の時差を求める問題が久しぶりに出題されたが、複雑な計算は必要ないためそれほど難しくはなく、地理は全体的に例年並み。歴史は昨年よりやや易化で、公民は昨年よりやや難化かな。全体的に昨年よりも正誤問題が多くやや手間がかかったかも。
というわけで、全体的には昨年並みか、微妙に…難化かなと。

まとめ
全体的に英語・国語で易化、数学で難化、理科・社会でほぼ昨年並み、というところから、全体的な平均点は上昇すると予想。
ただし、重点校などの偏差値60台後半~70台の最上位層では、英語・国語はもともと高得点であるため、これら2教科の平均点上昇は僅かで、数学での下降が著しい場合は、5科計での平均点はそれほど変わらないかもしれない。
一方、偏差値50台~60台前半の中堅・上位層では、数学の下降よりも英語・国語の上昇の方が上回ると予想できるため、5科計平均点は上昇するのではなかろうか。

あくまで私見だけれど、今年の学力検査について振り返るとこんな感じでした。

最後にもう一度。
特色検査は100点あるいは200点分だ(デカい)。学力検査で思うようにいかなかったとしても、この特色検査で逆転できる可能性は十分に残されている。絶対に諦めるな。
一方、学力検査で望む結果が得られていたとしても、特色検査で大コケしてしまったらひっくり返されるのは必至。決して油断するな。

さぁ、この土日が合否を左右するくらいの気持ちで勉強に打ち込もう

【高校受験に想う⑤】ラストメッセージ~第9期生、そして、親御様へ~

中3受験生(第9期生)へ
以下2点だけ、心の片隅に留めておいてほしい。

①定員以内にゴールすればいい
たとえば定員319名の高校ならば、1位だろうが319位だろうが、同じ合格だということ(当たり前)。もちろんキミたちよりも高得点の受験生はたくさんいるだろう。でも、それがどうした?とにかく319位以内にゴールすればいいんだ。必要以上に気負う必要などない。大小の違いはあれど、受験生は皆それぞれプレッシャーを抱えているものだ。キミだけじゃない。
②諦めずに最後まで戦い抜く姿勢を
解けそうにない問題にぶち当たっても、失敗してしまった教科があっても、振り返らず、暗い顔をせず、俯くこともせず、前を向いて最後の教科が終わるその瞬間まで諦めるな。気持ちや姿勢が後ろ向きになると、いつもは出来ていたはずのことが出来なくなることがある。表情や姿勢は思考を左右するものだ(これホント)。そして、合否のボーダーというのは、学力とはまた別の、志望校への想いや執念がモノを言う。授業でも話したはずだ。思い出せ。

親御様へ

これまで大切なお子様を弊塾に託していただけたこと、心より感謝申し上げます。至らぬ点も多々ありましたが、お子様の第一志望合格に向けて、精一杯サポートをさせていただきました。あとは、お子様を信じて、当日は元気よく送り出してあげてください。
入試当日。お子様はたった一人で戦ってきます。偶然にも同じ学校の生徒さんと同じ教室で…、ということもあるかもしれませんが、学校の定期テストとは異なり、慣れない環境の下、周りに知り合いもいない中、誰に相談できるわけでもなく、誰の助けも借りずに、たった一人で。ですから、受験を終えて家に帰られたお子様には、「出来た?」「どうだった?」と、結果や感触を聞きたくなる気持ちをグッと堪え、「お疲れ様、よく頑張ったね。」と、労いの一言をかけてやってください。どうかお願いします。

最後に、挑戦者たる第9期生へ。

キミたちの代は特に、
厳しく接してきた。
真剣ゆえに心を鬼にしてきた。
悔しい気持ち、泣きたくなる気持ち、
さまざまあったと思う。
よく頑張った。
でも、全てはこの高校受験のため。
最後に笑って合格発表の日を迎えるため。

もちろん高校受験は通過点の一つ。
でも、生き方を選ぶ第一歩、
自立への第一歩だ。
だから、高校受験は貴い。
自ら進むべき道を決め、
逃げずに最後までやり抜いた。
それだけで十分に価値がある。

支えてくれた家族がいる。
共に頑張った仲間がいる。
その全てが力となり、
勇気をくれる。
だから、大丈夫だ。
道=未知を切り拓け。
その扉をこじ開けろ。

最終決戦まで、いよいよ…
1日!!!

【高校受験に想う④】Fight with your back to the wall!

志願変更期間を経て、受験校が確定した。
ここからは…

Fight with your back to the wall!

まさに「背水の陣」、
覚悟をもって進まねばならない。

大袈裟と思われるかもしれないけれど、
ココイチバンの時には覚悟が必要だ。

誰が何と言おうと、
周りがどう思おうと、
決めるのは、自分。
やるのも、自分。
代わってくれる者などいない。
受験のみならず全てに通ずる部分がある。
もう後には引き下がれない状況の中、
振り返ることなく、
揺らぐことのなく、
覚悟をもって力強く前に進む。
いかなる結末を迎えても、
他の誰かではなく自分自身が、
向き合い、そして、受け止める。

これは決して煽りではなく、
成し遂げたい何かがあるなら、
手に入れたい何かがあるなら、
覚悟と責任が求められる。
その重みを、
この高校受験で学ぶんだ。

最終決戦まで、あと…
6日…!!!

【高校受験に想う③】結果は一瞬、過程は一生

学校の先生や塾講師ならば幾度となく経験するだろうが、子どもたちにとっては人生一度きりの高校受験であり、また、初めて自ら進むべき道を選び決めていくという節目=自立への第一歩。

「頑張って良かった。」
「完全燃焼できた。」

全ての決着がついたとき、子どもたちがそんなふうに思える受験にしてやりたいと心底思う。

受験は、合格か不合格か、そのいずれかを決めるだけ、単純明快だ。だからこそ、その向き合い方次第でその価値は変わる。学力的にも人間的にも大きく成長できる機会となるか、単なるテストの1つとなるか。ならば、やはり価値あるものにしてほしい。そこには…

結果は一瞬、過程は一生

そんな想いがある。合否は一瞬であっても、そこに至るまでに積み上げた過程=経験値は一生モノの財産になる。努力の価値、頑張ることの意義を知り得た子は、教科学習の域を超えた、人生における大切な何かを得られるはずだ。結果だけに価値を求めるならジャンケンでいい。

努力を怠って後悔することはあっても、
努力を重ねて後悔することは決してない。
頑張れ、中3受験生!
己を信じよ、CLEAR第9期生!!

最終決戦まで、あと…
9日!!!

【高校受験に想う②】真っ向勝負

中3受験生の入試本番まであと10日余り。99DAYSカウントダウンを始めてからというもの…いやはや…光陰矢のごとし。

頑張ることはやっぱり青天井だ。とりあえずここまで出来ているのだからこれ以上頑張らなくてもいいってことはない、ということ。「今よりももっと」と自分自身の果てなき高みを目指す。飽くなき向上心を持ち続けるってとても大事。

高校受験期。少年から青年への過渡期として彼ら彼女らが大いなる成長を遂げる瞬間、それに寄り添えることに感謝するとともに感動すらも覚える。

CLEARは、合格さえ出来ればOK!というような合格実績至上主義を謳う塾とは少し違う。もちろん合格が第一義であり、塾としての責務であることは間違いないけれど、人としての成長、人間力の向上も大事にしたい。

こんなことを述べるのは、“受験期あるある”について思うところがあるから。入試本番までいよいよとなってきた頃、学校を休みがちになる子がいる。言わずもがな受験勉強をするためだ。中には学校を休んで塾の自習室に籠もる子もいたり…。
でも、それっていかがなものか?前職時代から、そのような言動に対しては、断じてNoの態度を貫いてきた。受験生から、平日の早い時間帯から自習室を開放してほしいと頼まれても、首は一切縦には振らなかった。自由登校となる高校生ならまだしも、中学生でそれはあってはならないことだと思う。学校を休むことを黙認してしまう周りの大人も良くないが、塾での自習を奨励(?)する塾も塾だ。

“目的達成のためなら手段を選ばず”のような大人にはなってほしくない。キレイゴトと言われてしまえばそれまでだけれど、やっぱりそういう言動は慎むべきだし、そういうところは大事にしたい。

賛否両論あろうことは承知の上。
それでも…
正々堂々、真っ向勝負!
…を挑める子であってほしい。

最終決戦まで、あと…
12日!!!