ココイチバンの…

先日の中3の授業冒頭で話したこと。

「部活動、特に運動部に所属している子にとっては、これから中学生活最後の大会を迎えることになる。おそらく今は練習もハードだろう。受験生として勉強にも力を入れなければならないし、大変であろうことは重々承知している。でも、部活も勉強も一切手を抜くな。悔いなく部活を終えられれば、受験勉強に向けて気持ちも切り替えやすくなる。そして何よりも、苦しいときに踏ん張ったという経験は、これから先の例えば受験期、伸び悩み苦しい思いをするときが必ず訪れるけど、そんなとき自らを奮い立たせてくれる一助になるはずだ。かつての前職時代の教え子に、テニス部に所属している子がいた。公立だけど全国大会にも出るような部だったから活動が盛んで、テスト前も休みなんてない。夏場なんかは顔を真っ赤に日焼けして、授業時間に遅れることもしばしばあったけど、決して休むことはなかった。引退も他の子よりも遅かったからどうしても勉強時間が制限されてしまっていたけど、その子は最終的に地元のトップ校に進学した。いいか、苦しいのは自分だけじゃない。今のこの時期をこれからの自分にとっての大きな糧とするんだ。」

こういうことを言うと、どこか「もともとデキル特別な子」と思われてしまいがちだけど決してそんなことはない。ごく普通の子だった。数学が苦手で最後の最後まで苦労していた記憶がある。

苦しいときというのは誰にだってある。
そんなときにグッと踏ん張れる、
困難から目を背けずに夢や目標に向かって邁進できる、
そんな人になってほしい。
子どもたちに心の底から願うこと。

何かを成そうとしたり、叶えようとしたりすれば、もちろん失敗することもあるだろう。でも、失敗は悪いことじゃない。それは過程の一つなのだから。本当の失敗…というか、この言葉が適切かどうかは分からないが、それは「何もしないこと」だ。何もしなければ失敗もないかわりに成功もないし、何も得るものもない。

自分自身の生き方を振り返っても…
退学を経験したし(悪いことをしたわけじゃありません。その後ちゃんと復学して卒業しました(^_^;。)、
教員免許は取得したものの採用試験は諦めたし、
前職の学習塾では離職せざるを得なかったし…。
とは言え、この程度のことを挫折なんて言うのは大袈裟だ。ただ、結構パンチの効いた経験だったかな(^_^;。でも、その度に歯を食いしばって這い上がってきたつもりだけど、決して「失敗」だったとは思っていない。全てが糧になっていて、今の自分を支えてくれている。

まぁ、話が逸れてしまったけれど、「苦しいときに踏ん張れる」、ココイチバンのガンバリ、その大切さが中3に少しでも伝わってくれていれば…。

創業9年目へ…

2024年7月1日。今日でここ小田原市国府津にCLEARを創業して9年目、法人化して5年目を迎えた。偏に心ある人たちの支えのお陰。心の底から感謝…。

前職の学習塾を辞し、意を決して独立の道を選んだとは言え、当時は縁もゆかりもなかった小田原市国府津。武山と俺にとって、全てが0からのスタートだった。立地、家賃、競合塾、対象学校の規模…諸々を熟考し開校場所を選定。ずいぶんと悩んだ。
ただ、決めてからは一気に動いた。教室の什器備品も全て自ら足を運び、少しでも安く良いものを。運搬、組み立て、設置、設定…何から何まで全て自分らで。

before(開校前)

after(開校当初) 本棚小さい…(^_^;

少しでも経費をおさえるために広告は手作り(今でもそうだけど…汗)。印刷だけは業者さんに任せ、完成した広告は新聞店に直接持ち込んで折込を依頼。とは言え折込だけでは地域の方々に認知してもらえるわけもなく、ポスティングも自分らの足で。1日に1000枚配布したときはさすがにキツかった…(汗)。

そしてホームページも然り。手作りだ。何度もリニューアルを重ねているけれど、これまでのものは全て“webプロデューサー”武山によるもの。デザイン等は武山、文面等は長谷川、という役割分担で作ってきた。

業者さんに任せた方がより良いものができるだろうけれど、何せ潤沢な資金があるわけでもないし、何よりまずは自分らでやってみることでスキルアップに繋がり、お金だけではない、自分らにとって何らかの財産になると思ったからだ。

開校に向けてまさに突貫工事の日々が続いた。

必死になるもののお問い合わせなどありはしない。そりゃそうだ、大手の新規校舎開校やフランチャイズの塾ならまだしも、「CLEAR?何それ?塾?」どこの馬の骨とも分からぬ、見たことも聞いたこともない、こんな小さな塾に大切な我が子を預けてくださる親御様がどこにいるだろう。何をやっても上手くいかない、苦しい日々が続いた。当然ながら本業だけでメシを食っていけるわけもなく、ダブルワーク、トリプルワークを数年続けた。だから、初めてお問い合わせをいただけた日のことは今でも鮮明に覚えている。知ってもらえること、興味をもってもらえること、そして、体験してもらえることがどれだけ有り難いことかを実感したあの日。その感謝の気持ちを忘れたことは一度もない。

「こんな小さな塾にご興味をもっていただき、ありがとうございます。」

今でも、初めてお問い合わせをいただいた親御様に必ずこうご挨拶するのは、そんな想いが強いから。

まだまだ志半ば。
山あり谷ありは当たり前。
これからも地域の子どもたちのために精一杯、
初心を忘れることなく…。

評定3は真ん中?=初めて5段階評価を受ける中学1年生とその親御様へ=

過去に何回かアップしているこの記事。定期的に読んでくださっている方がいるようなので、改めて一部を編集してアップすることにした。中学生はもちろん、その親御様にとって少しでも参考になればと思う。

5段階評価。中学生になって初めて経験する第三者からの数値による評価。◎○△と違って、数値というのは思いの外シビアに感じられるものだ。
ここで、そんな中1やその親御様に、今の中学校の成績の在り方について分かっておいてほしいことを述べていきたい。それは、

“評定3”は決して真ん中ではない、

ということ。「まぁ5段階の3だから、そんなに心配する必要はないか」というのは、もはや過去の話で今は全く違うということを認識するべき。相対評価を経験してきた親御様の世代にとっては、評定3というのはいわゆる真ん中という認識だったと思う。確かに当時はそれは間違ってはいない。でも絶対評価にある今は違う。親御様自身が中学生だった頃の感覚で我が子の成績を捉えると、学力の認識にかなりズレが生じてくる。

◆相対評価と絶対評価、何が違うの?

相対評価
評定5は7%、評定4は24%、評定3は38%、評定2は24%、評定1は7%、と、全体の中でどの位置にいるかによって評定が決まるというのがこの相対評価。簡単に言うと、上から順番に並べてここまでが5、ここからここまでが4で…といった成績の付け方。集団の中で他者と比較されて付けられる評価ということ。
絶対評価
今の成績の付け方。教育目標に対する到達度に基づいてなされる評価だ。簡単に言うと、テストの点数、提出物や授業態度という学習への主体性などを総合的に評価するというもの。また、評定5の人数は○○%などという基準はないため、評価する先生によってかなりばらつきがある。また、それぞれの評定の人数も定まっていない。だから、“理屈の上では”全員3や全員4もあり得る。

◆評定3は“普通”?

相対評価では評定3は全体の真ん中の成績だった。真ん中を平均あるいは普通とみなすのであれば評定3は“普通”の成績だったといえる。それでは絶対評価での3はどうだろうか。
評定がオール3だと9教科で合計27になる。この成績で神奈川県の公立高校を受験するとなると、近隣校では足柄高校や高浜高校を受験する子が多い。これらは弊塾が採用している神奈川全県模試で偏差値40ぐらいの学校だ。例えば100人中80番目ぐらいの順位の子が進学する学校。言わずもがな偏差値の中心は50。故にオール3というのは平均よりかなり下ということになる
一方、オール4だと9教科で合計36。この成績だと偏差値50ぐらいの高校が目安になってくる。だから、成績のオール4というのが、ちょうど全体の真ん中ぐらいという認識を持つべき。つまり、絶対評価のオール4は相対評価だったころのオール3とほぼ同じといえる。だから、親御様世代が受験生だった頃のイメージで神奈川県の公立高校の内申点や偏差値を捉えるとズレが生じてくるという理由はここにある。

なぜこんなことが起こるのか。それは絶対評価だと、学校の先生は「評定4」や「評定5」をたくさんつけられる(つけたがる?)からだ。一方、厳しい先生もいて、評定5はほとんどつけないという場合もある。相対評価のように、全体の中で評定1~5それぞれの比率が定められていないためこういうことが起こりえる。

◆評定4でも楽観できない

成績はオール4で全体の真ん中ぐらい。ただし、テスト結果があまり振るわずとも提出物や授業態度等で稼いだ「評定4」の場合、その教科の学力は厳しい状況にあるかもしれないと言っていい。そして、「評定3」の成績がついた教科については、かなり真剣に取り組まないと大変なことになってしまうぐらいの危機感を持つべき。

◆でも入試は相対評価

入学定員が定められている入試はいわゆる相対評価といえる。神奈川県の公立高校入試は、内申点+入試点(+特色検査)の合計点で上から順に合格が決まる。例えば地元の人気校、西湘高校を目指すなら最低でも成績は36(オール4)程度を、小田原高校を目指すなら最低でも成績は42(5が6つの4が3つ)程度を。

今年度最初の定期テストに挑む中学生へ

中学生は第1回定期テストに向けて徐々に加速中だ。
以下のテスト対策のご案内書面は子どもたちに配布済み。

もはや“耳タコ”だがとにかく最初が肝心。
ここで勢いをつけていきたいところだ。

中1生へ
「中学校の定期テストとはいかなるものか」「どのような準備をするべきなのか」“失敗”してもいい。積み上げ教科の英数国を優先しつつ、テストを経験する度にトライ&エラーを繰り返し、勉強の仕方を身に付ける1年間にせよ。

中2生へ
テスト結果が内申点に直結していく。内申点=高校進学を意識し始めなければならない学年。「中だるみ」と思われがちな中2。そんな周りのイメージを払拭し、少しでも早く明確な目標=志望校合格に向けて邁進していく1年にせよ。

中3生へ
いよいよ受験学年。第一志望合格に向けて全力疾走を開始する時がきた。もはや受験まで残り約9ヶ月。決して大袈裟ではなく、ここで踏ん張れるか否かで、後の人生も変わってくるだろう。内申点向上は当然のことながら、学力の充実=実力の向上にも努めよ。

プライベートですみません~参戦してきました「COMPLEX被災地復興支援ライブ“日本一心”」!~

仕事があるためムリかと完全に諦めていたのだが、奇跡的にも休みと重なったため、ダメ元で応募したところ何と当選!参戦してきました、そう…

COMPLEXライブ「日本一心」!!
能登半島地震の被災地の復旧・復興のためのチャリティライブだ。前回の東日本大震災復興支援ライブから約13年の時を経て、再びCOMPLEXが立ち上がった。

ライブに参戦するのはおよそ10年ぶり。それに中学生の頃に聴きまくったCOMPLEXのライブとあっては気持ちが高ぶらないわけがない。1990年前後にアオハルを過ごしたアラフィフ世代のお父さんお母さんならきっと共感してくれるはず(笑)。

やはりオジサン&オバサン多し(笑)。
久しぶりの参戦だっただけにその熱気にやや戸惑いを覚えつつも、始まったらもうオールスタンディング、声を枯らして歌いまくった(汗)。
オープニングの「BE MY BABY」でテンションは爆上がり。「恋をとめないで」で会場が一つになり、「GOOD SAVAGE」でロックンロールを全身で浴び、そして、アンコールの「1990」で感極まった。また、個人的には「RAMBLING MAN」「IMAGINE HEROS」「MAJESTIC BABY」でも感動…。
まさに中学生時代にタイムスリップしたような気持ちにさせてくれた。唯一の悔いはグッズを買えなかったこと。ショップはまさに長蛇の列。断腸の思いで購入を諦めた(涙)。

吉川さんは御年58、そして、布袋さんは62。
衰えを全く感じさせないその圧巻のステージに、闘魂を注入してもらった気分だ。明日からまた気合いMAXでガンバロウという気持ちにさせてもらえた。そして何よりも、被災地が少しでも早く復旧・復興できますように願いを込めて…。

以上、激プライベートブログでした(汗)。

学力格差の現実

職業上、同業の塾講師や教員の方とお話しする機会があるのだが、どの方も口を揃えて言うのが、

「子どもたちが年々できなくなってきている。」
「できる層がだんだん減ってきている。」

という類のもの。もちろん、上位層は一定数いるのだが、それが少なくなってきて、これまで中間層とみなされていた子が下位層になってきているという。そう、二極化現象だ。

とにかくここ数年は学力格差の著しい広がりを実感しているのだが、そう感じているのはどうやら自分だけではないようだ。やはり“脱ゆとり”に舵を切ってからは、質量ともに学習レベルがアップしたため、そのレベルについていけない子が大幅に増えてきている。特に2020年度からの小学英語の教科化、それに伴う中学英語の難化でそれが顕著であるように思う。

いわゆる“ゆとり教育”の最たるものは、2002年から2011年における義務教育過程なのだが、その頃と比べて、明らかに学力格差の広がりを感じざるをえない。確かにゆとり教育の内容は現在のそれと比べるとはるかに易しかったが、それゆえに格差もそれほどなかったようにも思う。でも、現在のこの格差はそれだけによるものかというと、そこには疑問がある。それは以前にこちらの記事でも述べたとおりだ(厳しい指導はNG?時代の流れに想う)。

主体性第一、主体性ありき。一にも二にも主体性が重視されるのが今の評価の在り方。また、一定の強制力や厳しさをもって学習に取り組ませるのができにくいという時代の流れ。一昔前であれば、学校や塾の先生が“オシリヲタタイテ”でもデキナイ子を最低限の学力レベルまでは引き上げられたのだが、厳しさや強制力が敬遠される今の時代においてはそれが難しい。ともすれば極論ともいえる「やる子はやるし、やらない子はやらない」が良しとされてしまっている風潮すら感じる。だから、一部のデキル層はグングン伸びていき、それ以外の層はどんどん置いていかれ、やがて“デキナイ層”へとなってしまう。“デキルorデキナイ”で単純に線引きするべきではないのだが、ここは敢えてそう表現させてもらう。指導現場では驚くほどの学力の低さを目の当たりにすることもしばしばなのだ。

学習レベルの難化、主体性重視の指導。

個人的には、これらが今の学力格差の主たる要因であるように思う。とはいえ、「そういう時代なんだから仕方ないよね」であって良いとは決して思えない。ゆえに日々葛藤。
どこまで頑張らせるべきか、
どこで線を引くべきか…。
ここは学習塾。学力向上が責務。公教育ではなかなかできないことも、学習塾ならできることもあるはずだ。ある程度の厳しさや強制力をもって子どもたちの指導に当たらねばならないと強く思う。

備忘録として

一つ前のブログでも書いたとおり、昨日は非常に学び多き一日だった。忘れぬようにするためにも、ある種の備忘録としてここに残しておこうと思う。

有馬先生が持たれている弊塾の印象としては、「新しいことを取り入れる柔軟さ、フットワークの軽さ」とのこと。決して意識しているわけではないのだが、子どもたちにとって良かれと思うものはまずは取り入れてみようという思いで指導している。例えば、国語教材の論理エンジン、演習システムのeトレ、そして、プログラミングなどはずっと続けていることだ。他にもこれまでに、キャリア教材ENAGEED、オンライン英会話、受験コンパスなど、さまざま取り入れてはみたものの、思い通りにいかないことも多々あった。ただ、やってみなければわからないこともある。十分に熟慮し話し合いの時間は設けるも、決めてからは躊躇なく即行動、実践してみる。たとえ思い描いていたような成果が得られなかったとしても、そこには必ず経験が残り、学びが得られるはずだ。だから、決して失敗とは思っていない。むしろ何もしないことの方が失敗だとも思う。これからも、この気持ちは大事にしていきたい。

小川先生にはバシバシ質問させていただいた。
①指導法について
圧倒的な実績を誇っていた塾だ、果たしてどのようにして子どもたちを導いていたのか。どうしても聞きたかった。要因はさまざまあるが、一つは極めてシンプルなものだった。
「テストや課題をバンバン与えて、出来るまでの繰り返しです。帰しません(笑)。もうゴリゴリ指導の塾です。」と。
ハッと思わされた。かつてはテストや課題など、前職時代はバンバン出していたけれど、ここCLEARを立ち上げてからは分量も少なくなったような気がする(塾生にはそう思われていないだろうけど)。そのような指導が敬遠される時代だ、子どもたちの負担増にならないだろうかと心のどこかで遠慮していた自分がいたのではないか。大手塾であろうと個人塾であろうと、確かに優れた実績をあげている塾というのは、課題やらテストやらが多く、それらの取り組みを“徹底”していることだ。弊塾でも今の時代に少しでも合わせつつ、自分なりに徹底してきたつもりだったが、思えばやはり遠慮していたのかもしれない。近年の通塾生の定期テストや学力テストの結果等を見ればそれは明らかだ。子どもたちには“出来るまで”を周知徹底させる。決して特別なことではなく、勉強の王道を再確認させてもらった。それにここには書かないけれど、そのようなことを徹底していくと、また別の効果も期待できるのだ。

②映像授業について
中学校の理科や社会が学校により進度がまちまちとなってからは一斉授業に見切りをつけ、映像授業による個別学習に切り替えられたそうだが、その成果について。
「上位層の子は対面授業でも映像授業でもやれます。でも、中間層以下は習熟度がガクンと落ちますね。また、全ての層に共通していえるんですけど、映像主体になると読解力が低下しました。本読むのが好きなんで実際に自分で実験してみようと思って映像見続けてみたんですよ。そしたら、全っ然読めなくなりました(笑)。」
なるほどと思った。映像授業を否定したことはこれまでもないし、これからもするつもりはない。ただ、どんなシステムも一長一短あるのを十分に理解しておかなければならないということ。確かに上位層は対面だろうが映像だろうが、それなりに取り組めるのは分かっていたけれど、読解力の低下につながったというのは初めての気づきだった。小川先生曰く、「映像は大量の情報が一方的に流されるので、子どもがあれこれ考えなくなるんですよ。だから、読解するうえでも行間を読むどころか、行間を読もうとすらしなくなるというか。」
読解力は全ての学びの土台だ。その点を考慮すると、やはり映像授業を取り入れるのは、うちではまだまだ多くのことをクリアしてからでなければならないと実感した。ちなみに、弊塾のパンフレットの高校部紹介ページには、以下の文面を記載している。
「…巷では安価で質の高い高校生向けの映像授業が溢れていますが、『人に教え、人を導くのは人。』を理念に、あくまで人と人との対面指導に重きを置いて指導します。」

③テスト対策について
これには驚いた。「テスト対策は特にしない」ということだ。テスト前はそれぞれ必要な勉強が異なるため、子どもたち各々に任せていたと。確かに弊塾もテスト前の対策はするが、“授業”は基本的にしない。テスト前で大事なのはアウトプット=演習、それも、個々の必要且つ十分な量をだ(授業はその前段階としてのインプット)。だから、勉強会スタイル(個別学習+質問対応)でテスト対策はしているが、「実施しない」という判断はなかなかできない。これも普段の指導が行き届き、子どもたちそれぞれにテストに向けての勉強の仕方を身に付けさせていることによるものだろうと思うと、さすがと感服してしまった。

ほどなくゴールデンウィークに伴う休校期間となるけれど、連休明けからはギアを一段階上げていきたい。子どもたちにとっては今までより少し大変になるだろうが、成長のために“負荷”は必要。遠慮して、結果としてテストで悔しい思いをさせてしまうぐらいなら、心を鬼にしてビシバシいかせてもらう。

頑張ろう、通塾生。

学び多き日

本日は弊塾にお客様が来られた…と言っても、生徒さんや保護者様、そして取引先の教材会社様ではなく…

小川先生(元Gゼミナール)
そして、有馬先生(ペンシルゼミナール)、

同業のお二方だ。

秦野のGゼミナールという塾で講師をされていた小川先生。地元の方からは“Gゼミ”の愛称で親しまれてきた地域密着型の学習塾だ。惜しまれつつも20年の歴史に幕を閉じたが、毎年、小田原、平塚江南、秦野など、中3の約3分の2が旧学区トップ校へ合格していくような、まさに“進学塾”で、圧倒的な指導力、合格実績を誇っていた。

二宮のPencilゼミナールという塾で教鞭を執られている有馬先生。“ペンゼミ”の愛称でも親しまれ、Gゼミと同じく地域密着型の学習塾だ。20年以上に渡り地域の子どもたちの学習指導に当たり、「やる気を育てる」を旗印に、“持たされたペン”ではなく“自ら握るペン”になるための、やる気を引き出す指導を大事にされている。

そんなお二方とのご縁は、弊塾のX(旧Twitter)から。その後「CLEARを見てみたい」というお二方のご希望により、今日という日が実現した。こんな吹けば飛んでしまうよう小さな弊塾に興味をもってくださったこと、感謝、恐縮、さまざまでございます(汗)。

教室を見てもらってからはさまざまな塾談義を交わした。塾を経営・運営していくうえで必要なこと、子どもたちを取り巻く教育環境、授業の進め方、学習指導をするうえで大事にしていること、教材の選び方や作り方…など多岐にわたった。曰く、小川先生はこれからまた新しい塾を小田原市内に立ち上げられるらしく、その名も「あしがら理数教室」。理数に特化した、まさしく理数専門塾。チャレンジを続けるそのスピリット、感服します。ご興味がある方は是非一度お問い合わせを!

神奈川では大手塾が市場を席巻して久しいが、今日お会いしたお二方と話し再確認したことがある。大手塾の指導力や実績にも決して負けない、キラリと光る個人塾が神奈川にはいくつもあるということ。まだまだ志半ばだが、このCLEARも、「山椒は小粒でもピリピリと辛い」、そんな存在感を示せる塾になりたいと改めて思えた。

久しぶりに多くの学びと刺激を受けた日。
ご縁に感謝!
今度は私どもがお邪魔させていただきたいと思います。
今日は誠にありがとうございました。
そして、これからも宜しくお願い致します。

役割

親御様との定期的な面談で必ずと言っていいほど話題にあがるのが、子どもとの接し方について。優れた教育者でもなければカウンセリングの専門家でもない、ただの一塾講師ではあるが、それなりに長くこの業界に身を置き、十人十色の子どもたちと接してきたその経験から、僭越ながらもアドバイスをさせていただくこともある。

短所を指摘しその改善を促す指導。
長所を認めてその伸長を促す指導。

これらは“両輪”であるということ。
あくまで持論ということを前提に。両輪がなければ真っ直ぐ進めない車と同じで、子どもにもこれらが伴わなければ健全なる成長は難しい。今は厳しさが敬遠され、「褒めて伸ばす」が主流の時代かもしれない。とはいえ、やはりそれに偏ってもいけないだろう。大事なのはバランスのように思う。だから、親御様との面談ではよくこんな話をする。

「塾ではお子さんの至らぬ点、反省すべき点を指摘し、その改善に努めます。時には厳しく指導することもあります。ただ、家庭では勉強のことに関してはあまり口うるさく干渉せず、お子さんの良いところに目を向けてやってください。」

・塾=短所を改善
・家=長所を伸長

子どもには逃げ道が必要だ(大人にも必要だろうけど汗)。その子どもに関わる周囲の大人が、それぞれの役割を自覚し実践することができれば、その子どもは健全に成長していくはずだ。

「教師は五者たれ」という有名な言葉がある。前職時代のかつての上司にもよく言われたものだ。
「五者」とは、「学者」「医者」「役者」「易者」「芸者」の五つを指し、
「学者のように学べ」
「医者のように生徒を診よ」
「役者のように生徒を魅了せよ」
「易者のように生徒の未来を見よ」
「芸者のように生徒に寄り添え」
というように、教育者に求められる役割を五つの「者」に例えた言葉。

俺は教育者でもなんでもなく、一塾講師。とはいえ、上記の五者は常に意識はしている…が、未だ何者にもほど遠い未熟者だ。ただ、このような五者を一人で担うことはできずとも、複数いれば担えるはず。家庭と塾と、親御様と講師とで、それぞれの役割を担っていければ…。

やはりこういう子は伸びにくい

それなりに長くこの業界に携わらせてもらっているため、どんなタイプの子が伸びやすくて、どんなタイプの子が伸びにくいかというのは、感覚的に分かるときがある。少し耳の痛い話ではあるけれど、今回は「伸びるのが難しい」という子の例をいくつか挙げてみたい。一つでも当てはまるようであれば改善に努めよう。

①自分の学力に無関心
例えばテストをした後に解答&解説の冊子を配る。配られたときにすぐに中身を確認する子と、中身を見ることなくすぐにカバンにしまってしまう子。自分のテストの出来に関心がない後者のような子はやはり厳しい。そのとき出来ていなくても、解答&解説に目を通して悔しそうな表情を浮かべるような子は十分に伸びしろがあるように思う。また、返されたテストの点数を覚えていないような場合も然りだ。

②ことあるごとに「ケアレスミス」と言う
確かにケアレスミスというのはある。でも、それをことあるごとに口にする子は、自分の未熟さから目を背けてしまっているに過ぎない。計算ミス、英単語のスペルミス、記号で答えるべきところを語句で答えてしまった…などなど。でも、これらも含めて全て自分の実力であるということを謙虚に受け止めなければだめだ。どうしても自分の未熟さを認めたくないゆえに、「ケアレスミス」などという簡単な言葉で片付けてしまっては、いつまでも経っても出来るようにはならない。問題の本質を直視すべきだ。

③「○○忘れ」が多い
例えば、「宿題忘れ」「持参物忘れ」、そして「時間忘れ(遅刻など)」。注意力散漫で自己管理ができていないのだが、問題はそれだけじゃない。ついうっかりすることもあるだろう、人間だもの。でも、再三注意を促しても「○○忘れ」がなかなか改善されないような子は、「こういう言動を働くと周囲にどんな影響が及ぶだろう」という思考が働いておらず想像力に欠けている面がある。定刻になっても来なければ確認の連絡を入れるため授業が遅延したり中断したりするし、持参物忘れがあれば他の子から借りたり見せてもらったりするためその子の学習に不便をかける。自分のことしか考えられないような子は客観性に欠けるため、勉強も自分本位になりがちだ。また、注意力が散漫だから②のような“ケアレスミス”も多い。

授業中の姿勢や視線、話し方、聞き方、字の書き方、休み時間の様子…
その子をパーソナリティ的な面で注視していると、いろいろと見えてくる。