重み、ありがたみ

高校生の中には、塾の費用を自分で負担している生徒もいる。
立派だなと思う。アルバイトをしながら、一生懸命に学業に打ち込もうとするその姿を見ていると、絶対に希望の大学に合格させてやりたいと強く思わずにはいられない。

お金にキレイもキタナイもないと言う人もいるけれど、やっぱり一生懸命働いて稼いだお金は尊いと思う。そうして稼いだお金のおかげで、普通に帰る場所があり、寝床もあって食事に困らない生活が送れて、ましてや塾や予備校、習い事にも通える。通いたくても通えない子が世の中にはたくさんいるのに…。そういった環境は決して当たり前じゃない。でも、子どものうちはなかなか気づかないもの。

一昔前までは、子どもにとってもそのお金というものの尊さを実感する機会がたくさんあった。今の子どもたちにとっては何のことかさっぱりかもしれないけれど…

そう、「月謝袋」だ。
(CLEARも開校当初は月謝袋だった。その想いについてはこちらをクリック!)

かつての俺も中学時代、親に頼み込んで塾に通わせてもらっていた。大手の塾ではなく、今のうちのような小さな塾だ。でも、地域密着のその塾は地元で絶大な人気があって、知り合いの多くが通っていた。そこには月謝袋で毎月の塾代を払っていて、月末ぐらいになると親から現金の入ったその袋を受け取って塾に持って行ったものだ。大手ではなかったし、もちろん今より物価は安かったから、メチャクチャ高い金額ではなかったけれど、当時中学生の俺にとって2万前後の現金はまさに大金だった。袋には領収のハンコが増えていき、年間でこれだけお金がかかってるんだなぁなんて子どもながらに思ったものだ。

キャッシュレス決済が一般化した今、現金でやりとりする機会が著しく減ったし、親御さんの中には、金銭のやりとりを子どもに見せたがらない方もいるだろう。でも、時として、そういう生々しいお金のやりとりを子どもに見せるのも必要に思う。享受できている今の生活が、親御さんが懸命に働いて稼いだお金、その重みで成り立っているということを実感し、感謝の気持ちを育てることって大事だ。そういう気持ちがあれば、塾や習い事をサボったり、長続きしなかったり…というような、自分本位のイイカゲンなことはできないはずだ。不真面目な取り組み等をする子にうちがとりわけ厳しいのもこれが理由の一つ。

だから、高校生が自ら塾の費用を負担するというのは、お金の重み、そして、ありがたみ実感する機会になるはず。義務教育を終え、稼ぐ手段もあるのだから、「自分でできることは自分で」を増やし、権利、義務、そして責任とは何たるかを考え、これからの人生の糧としていってほしい。

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