努力の価値について考えてみる~小6文章読解の題材より~

先日の小6国語で取り扱った文章読解の題材。いろいろと考えさせられる内容だった。
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大人になるためにかならず必要なことなのだけれど、学校では教えないことが二つあります。
一つは、先に述べた「気の合わない人間とも併存しなければならない」ということと、そのための作法です。
もう一つ教えないことは何かというと、「君にはこういう限界がある」ということです。
そもそも人間が生きていくかぎり、多かれ少なかれ限界や挫折というものは必ずやってくるものです。
それを乗り越えるための心構えを少しずつ養っておく必要があるのですが、いまの学校では、「君たちには無限の可能性がある」というようなメッセージばかりが強くて、「人には誰にでも限界がある」「いくら頑張ってもダメなことだってある」ということまでは、教えてくれません。
子どもたちを傷つけてはいけないとか、子どもはみんな可能性を秘めているといった考えからなのか、いまの学校では、むかし以上に競争を最小限に抑えようという雰囲気があるようです。評価も本当はしているはずなのに、それが表からは見えにくいような工夫がなされています。でも、一方で社会はいま、むかし以上にものすごく競争がきつくなっている「評価社会」なのです。
こうしたズレがあるので、社会に投げ出されたときにものすごいギャップを感じてしまうわけです。挫折や限界にいきなりぶつけられたら、人はどうしていいか戸惑ってしまうでしょう。
【菅 野仁 著 『友だち幻想 人と人との<つながり>を考える』より】
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この文章を肯定的にとらえるか否定的に捉えるかは、個々の自由だ。授業でも「君たちはどう思う?」と考えてもらった。
ここからは個人的な意見。
共感できる点もあればできない点もある。
確かに能力には限界がある。どれだけ頑張ってもムリなものはムリってものもあるだろう。だからこそ、それを知るために努力すること、頑張ることって必要なんじゃないかな。「俺にはできない」とやる前から決めてかかるのでもなく、「自分のやれることはここまで」と安易に線を引くのでもなく、まずはとにかくトコトン、精一杯頑張ってみる。それで初めて見えてくるのが「自分の限界」。自分の限界を知る、言い換えれば、自分を知るために努力したり頑張ったりするんじゃないかな。勉強でも何でもそうだろう。強みor弱み、出来ることor出来ないこと、これらを知ることで、また別の可能性も見えてくるはずだ。
そう考えると、「努力は必ず報われる」というのも否定的に捉えざるを得ない。でも、報われるかどうか分からない、それでも努力できる、そのギリギリのせめぎ合いの中でも頑張れるからこそ価値があるし、尊いことだと思う。「報われることが保証されていないと頑張れない、努力できない」では、それこそ可能性を摘んでしまうことになりはしないか。

買わなければ決して当たることはない宝くじのように、努力することや頑張ることもそういうものだろう。報われることは保証されていない。でも、努力しなければ、頑張らなければ、報われることも決してない。

子どもたちには、本当の本当に目一杯のところまで頑張り抜ける人であってほしいと願うのは、こんな想いがあるからこそ。

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