それなりに机に向かっているのになかなか伸びない子に多く見られるのは…

至極当たり前のことで恐縮なのだが、学校が再開し新学年での学習が始まったこともあり、伸びる子になるために改めて…確認!

学校や塾の宿題も忘れない、
定期テスト前は自ら机に向かう、
…でも、なかなか思うような成果が出ない子は、
・作業偏重の勉強になってしまっている
・提出物の提出が“ゴール”となってしまっている

・学習効果は時間に比例すると考えてしまっている
・間違い直しが単なる答え写しになってしまっている
・アンダーラインを引いて勉強した気になってしまっている
…のいずれかに当てはまることが多い。

■作業偏重の勉強になってしまっている
たとえば英単語や漢字。覚えるために懸命にノートに書いて練習しているようだけれども、いつしかそれが「作業=ただ書いてるだけ」になってしまっている。覚えるための工夫、理解を前提とした取り組み、ができていないから、記憶として定着しない=すぐに忘れてしまう。丸暗記はNG。また、そういう子は、勉強が単調になりがちだ。じっくりと腰を据えて考えるような問題を無意識のうちに敬遠してしまう傾向にある。作業的な勉強も必要だ。でも、それに偏ってしまってはいけない。
■提出物の提出が“ゴール”となってしまっている
特に中学生でこれが顕著だ。定期テスト前などはワークやらノートやらの提出物が多くなり、またそれが成績に如実に反映するようになって久しい。故に子どもたちは、提出物の完遂=テスト勉強終了、とみなしてしまう子もいる。このブログで何度も書いているけれど、提出物の取り組みは習熟度を高めることが本来の狙いであり、いわばテスト勉強の“手段”の1つ。それが、いつの間にか提出することそのものが“目的”となってしまっている。そういう子は提出物の中身や精度に関心がない。
■学習効果は時間に比例すると考えてしまっている
学習効果を出すにはそれなりに時間は必要だろう。でも、それが全てと思ってしまってはいけない。何時間も机に向かおうと、集中していなければあまり意味はない。ただダラダラと時間だけが過ぎて、何となく勉強した気になってしまう。そうではなくて、勉強は時間<質(量)が大事。ここ一番の集中力でガッと取り組み、適度に休憩することが集中力を持続するためには必要なこと。
■間違い直しが単なる答え写しになってしまっている
間違えることは決して悪いことではなく、むしろ財産になり得る。けれども、それが財産になるかどうかは復習(間違い直し)の取り組み方次第。問題を解いてみる、丸付けをしてみる、間違えたとする、そこで、答えを写して終わってしまう子とそうでない子とで差が生じる。前者は間違い直しではなく答え写しにすぎない。大事なことは答えを知ることではなく解き方を身につけること。もう一度考え直す、正答に至るまでの道筋を丁寧に確認する、そして改めて解いてみる。このようなことができて初めて間違い直しが復習となる。
■アンダーラインを引いて勉強した気になってしまっている
これも勉強した気になってしまう要因の1つ。大事なことにアンダーラインを引くことは決して悪いことではない。でも、アンダーラインをよく引く子は、得てして引きすぎてしまい、結局何が大事か訳が分からなくなってしまうという事態を招きやすい。また、アンダーラインを引く勉強をし過ぎると、その形で出題されないとデキない、ということもよくある。

テスト前などの演習指導時に注視しているのは、子どもたちのこういうところ。上記に当てはまってしまっているようなら注意を促す。後は、その根っことなる日常の授業の受け方等も然りだ。持参物・宿題忘れはないか、話をきちんと聴いているか、ノートをどのようにとっているか、字はていねいに書けているか(字の上手or下手ではなく)、机上が整理整頓できているか、正しい姿勢で学習できているか(これには結構うるさい俺です)、果ては目線の走らせ方や休み時間の言動まで。

いろ~んな点から子どもたちを(厳しく)見てる。

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