伸びるための環境とは?~面倒見という観点から~

「親身の指導」「面倒見」を売りにしている塾は多い。もちろん、良いことなのだが、その「親身」「面倒見」の中身、捉え方について。

あれもこれもと面倒を見過ぎると、反って子どもたちは伸びにくくなる。学校や塾はもちろん、スポーツクラブなど、子どもたちの教育・指導に当たっている方なら誰しも思い当たる節があるのではなかろうか。そう、お膳立てをし過ぎることは、子どもたちが自分で考え解決していくための環境を奪ってしまう。

前職時代、子どもたちや保護者様から言われたことがある。「長谷川先生はあまり教えてくれない」と…(汗)。まぁ、意図が伝わりきらなかったのは俺の不徳の致すところではあるのだろうけれど、そういう声を上げる理由の多くが、

「手っ取り早く答えを知りたいから」

考えることを面倒くさがり放棄してしまっているようなもの。これでは学力は伸びない。学力を磨くするうえで肝心要なことは、「答えを知ること」ではなく「考え方を身につけること」だ。だから、導く側の人間が、子どもたちに手をさしのべすぎると、答えは分かっても、なぜそうなるのかは分からぬままで終わってしまう。そして定着しないまま何となくの学習が進み、同じ間違いを繰り返す。だから、「分からないことは何でも訊ける」というのも考えものだ。

勉強であれスポーツであれ、指導する側の人間にとって大事なことは、その子にとって適切なハードル、頑張れば何とか自力で乗り越えられそうな壁を設けてやることだ。そして「自分で出来た」という実感を与えることだ。面倒見の良さや親身というのは、そういう機会をできる限りたくさん設け、その子が自分で乗り越えられるようになるまで辛抱強く待ち、ときに共に考えてやることだ。特に思考力を高めるには、考えて考えて、これでもかと考えまくるしかない。でも、そのように苦労して身につけた力は強い。逆に、労せずに身につけた力は脆いものだ。

だから、「面倒見の良さ・親身の指導=手取り足取り」であってはいけない。そういう意味で、補習も多ければ良いというものではないし、いわゆる付きっ切りの指導というのも決して良いとは言えない。賛否両論あろうかと思うけれど、CLEARではそのバランスを大事にしている。極論ではあるけれど、「面倒見が悪い」方が、子どもたちは伸びるかもしれない。

さぁ、来週からいよいよ春期講習。実りある時間にしたい。子どもたちにとって、そして俺たち講師陣にとっても。

全く記事とは関係ないけれど、湘南平から望む夕焼け、きれいだった。

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