歴史を学ぶ=現代を相対化する

政治的な記事は出来るだけ書かないようにしているけれど、北朝鮮を取り巻く最近の世界情勢については、やはり社会を教える者として授業でも触れざるを得ないため、思うところを少しばかり…。

経済制裁か対話か。国際社会は北朝鮮への対応に苦慮しつつも、ついには経済制裁に踏み切った。それにより、米朝間はますます緊迫、テレビをつければ目にしない日はないというぐらい連日報道されている。国民の関心事はやはり、米朝の開戦があり得るのか、ともすれば日米同盟にある我が国日本はどうなるのか、いやどうすべきか、にある。

かつて日本が太平洋戦争に踏み切った経緯と似ているような気がする。日中戦争の最中、満州国建国が認められず国際社会から完全に孤立状態にあった日本は、ドイツ・イタリアと軍事同盟を結んだ。しかし、それは、ドイツと敵対関係にあったイギリス、そしてイギリスを支援するアメリカとの対立を引き起こすこととなる。

そして、アメリカは、日本に対する石油などの資源輸出を制限するなど、経済的圧力に加え、中国を支援するようになった。「石油の一滴は血の一滴」と言われるほど、戦争において燃料は極めて重要なものだったため、長期化する日中戦争を打開すべく、日本は石油や天然ゴムなどの資源を求め、東南アジアへ進出。しかし、そこにはアメリカやイギリスなどの植民地が多数あり、日本の進出に危機感を募らせたアメリカは、ついには日本に対して石油の輸出を全面的に禁止、アメリカにいる日本人の資産も凍結させるまでの経済制裁を断行した。いよいよ追い込まれた日本は、対米開戦=太平洋戦争に踏み切った。

今の北朝鮮が、対米開戦に踏み切ったかつての日本と似ているというのは、歴史を見れば明らか。人間は過去からしか学ぶことはできない。
「過去を知ることで現代を相対化する」
歴史を勉強する意義というのは、やはりこういうところにあるように思う。教科書の表紙にあるとおり、まさに「未来をひらく」ためにある。

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