考え、そして学ぶということ~その壱~

子どもたちの学力低下が次々と数字として証明され、「脱ゆとり」に舵を切って久しい。しかしながら、塾という現場で子どもたちと接していると、今の・・・というと語弊があるかもしれないけれど、驚くほど、文章が「読めない」「書けない」、そして人の話を正確に聞きとれない子が多いのが現実。

「『脱ゆとり』に舵を切ったはずなのに・・・」で思考停止してしまってはいけない問題。現場に関わっている者として感じることは、原因の一つとしては、単純に「考えようとしない・学ぼうとしない」ということ。「別にやらなくていい」「できなくてもいい」と思ってしまっている。つまりは意欲が著しく減退しているということだ。

小学生ぐらいまでは、一般的には知識欲が最も旺盛な時期。「これは何?」「どうして?」と、子どもたちは多くのことを知りたがる。これが中学生から高校生ぐらいになると、物事を深く考え始めたり、論理的・客観的に捉え始めたりするようになる。また、社会的存在としての自身を強く意識し始めるのもこの時期。考えては立ち止まり、また考えては立ち止まり、社会の中で自身がどうあるべきか、どうありたいかを模索していく。このように、子どもたちは本来、自ら考え学ぼうとする意欲を持っているはずなのだ

しかし、子どもたちから、考え学ぼうとする機会を奪ってしまっているものがある。それが彼らを取り巻く「環境」。ゲームやスマホ、そしてインターネット等の、「作られた」に意欲を消費してしまっている子どもたち。そこに創意工夫の余地はなく、ただ単に快楽のみを提供し、代わりにお金を徴収するビジネスが何と多いことか。これらの影響は極めて大きいと思わざるを得ないが、氷山の一角に過ぎない。では子どもたちの意欲を奪っているものとは他に何なのか?

続きはまた後ほど・・・。

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