国語が苦手な受験生へ

自分の言いたいことを正しく相手に伝え、また、相手の言わんとしていることを正しく理解する力が国語。だから国語は全ての教科の土台。国語力の向上なくして他教科の向上はなかなかに難しい。そんな国語を苦手としている受験生に…!(長文だけれど我慢して読んでみてほしい)

【国語攻略法①物語文の読解】

全ての教科に必要な論理的思考力。そもそも論理とは何か。それは「筋道」だ。だから、論理的思考力とは、筋道を辿って考える力。行き当たりばったり、その場の感覚ではなく、客観的事実に基づけば、必然的に辿り着くであろう結論を導き出す力。その最たる力が求められるのが国語だ。

では本題に。たいていの人は、物語文こそ「読書」や「センス」だと思っている。しかし、テストでは「読書」も「センス」もあまり役に立たない。なぜなら本を読むときは、主人公の心情を表す「客観的な理由」など意識することはないからだ。
本はふつう1ページ目から読むので、別にそんなことは意識しなくても、読み進めているうちに何となく主人公の性格や背景のイメージがわいてくる。だからこそ読書は楽しいのだが、テストでは物語の一場面が、提示されているに過ぎない。だから、普段の感覚で自分勝手に読むと、出来たり出来なかったりとムラが出てくる。
物語文は一切の主観を排除し、文中にある動作やセリフから問題に対する「根拠」を探し、心情を分析する必要がある。簡単に言うと、「いつ・どこで・誰が・何を思ったのか(したのか)」が分かればたいていの問題は解けるようになっている。その際に感覚やセンスは不要。国語にも必ず正しい答えは存在し、それには必ず根拠がある。そこに主観が入り込む余地はないのだ。

ちなみに「主観」。この言葉の意味をよく分かっていない受験生が意外と多いので、改めて説明することにしよう。まず、主観の反対は客観。「主観とは人によって見方が異なることで、客観とはだれが見ても同じであること」を言う。例えば、「太陽の色は?」と問えば、「赤」と答える人もいれば「黄色」や「オレンジ」と答える人もいるだろう。まさしくこれが主観なのだ。けれども「1+1は?」と問えば、「2」であることは間違いないように、人によって答えが変わることは絶対にないのだ。これが客観。もちろん、国語で必要とされるのは、この「客観」的な論理力。

物語文にムラがある受験生は、主観(=思いこみ)が入り込む癖を持っている可能性が多分にある。まずは心情を表すセリフや動作、情景などに線を引くなどしてみる。そして、それがなぜかを本文中から「探す」。小説や随筆であっても論理的思考力は大事なのだ。

【国語攻略法②論説文の読解】

論説文では、より論理的思考力(筆者の立てた筋道を理解する力)が問われる。センスや感覚ではいつまでたっても出来るようにならない。だから、たくさん問題を解いても正しく勉強しなければ無意味。また、論説文でやっかいなのは、難しい言葉が出てくることだ。
例えば、「文化論」「科学技術」なんて言葉、中学生が普段の生活で使うことはほぼないだろう。普段考えたことがないことをテスト時間内に理解するわけだから訓練が必要だ。そもそも、中学生が日常において論理を意識することはない。なぜなら、子どもはお父さんやお母さん、兄弟姉妹、友だちなど、そんなことは意識しなくてもよい人たちと付き合っているから。親しい間なら別に論理など意識しなくても、感覚だけで伝えたいことは十分に伝わるし、相手の言いたいことも大概は分かる。だから、曖昧なままでもコミュニケーションが成り立ち、曖昧な感覚で何となく済ましている。
それに対し論説文は、筆者の目には見えない不特定多数の人を対象に書かれている。したがって、その文章は、「だれにでも理解してもらえる」ように一定の論理に従って書かれている。その論理の中でもっとも頻繁に用いられているのが、「=(イコール)」(同義関係)、「対比」(対になる関係)、「因果」(原因と結果の関係)の三つの論理であり、それらを成り立たせている語が接続語なのだ。

たとえば,
【同義関係】
・Aつまり(すなわち)B
・BたとえばA など…
★A→B(抽象化)B→A(具体化)のはたらき
※また、「AというB」のような「という」にも抽象化のはたらきがあるので注意。
たとえば、「野球というスポーツ」とは言うけど、「スポーツという野球」とは言わんでしょ。
【対比】
・Aしかし(けれども)B
・AではなくB など…
★A=一般論B=筆者の主張
【因果】
・Aだから(したがって)B
・Bなぜなら(厳密には接続語ではないが)A など…
★A=原因B=結果

このように、論理を把握するには接続語に意識しながら読むよい。とにかく筆者は、自分の主張を読者に分かってもらいたいから、あらゆる手段を講じて主張を繰り返す。その手段というのが、「具体例の提示」や「反対意見の提示」なのだ。

たとえば,「野球が好きだ」と主張したいとき、ただ「野球が好きだ」だけでは説得力に欠くのだ。これを、

「『週刊ベースボール』は毎週かかさず購入して読んでるし〔具体例の提示〕、周りの友だちはみんなサッカーが好きだけど〔反対意見の提示〕、俺は野球が好きだ。」

としたらどうだろう?ただ「バスケが好きだ」より説得力のある言い分になるだろう。文章もこれと同じで、言いたいことを文字にして書いているだけだ。そういう「具体例」や「反対意見」に惑わされなければ、筆者の主張はつかめる。その道標となるのが「接続語」なのだ。だから、そのはたらきを理解して読むことが「論理的に読む」ということにつながる。センスや感覚は役に立たないというのはこういうところにある。
論理的思考力を身につける訓練こそが論説文を克服するカギ。ひいては全ての教科の向上に繋がるカギ。数学には数式に論理があり、国語には「文字」に論理があるというような違いだけだ。そして、いずれの教科も設問はほぼ日本語で書かれている。国語が出来る子は、得てしてどの教科もだいたい出来ることが多いのはこういうところにある。

さぁ、論理的思考力を徹底的に鍛えよう。まずは過去問&模試を何度も何度も何度も読み直してみること。並行して、接続語をマーキングしながら、文と文、語句と語句の関係を把握していく訓練をすること。

焦りは禁物。テストとして評価する以上、「正しく」勉強すれば、国語は必ず出来るようになる。

ガンバレ!!!受験生!!!

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