コミュニケーション

しばしの充電期間を挟み、本日より通常授業再開!本日は、小学生基礎トレ⇒小4⇒中1での稼働日。

CLEARで大事にしていることの1つとして、コミュニケーションがある。登塾時の挨拶から始まり帰りの送り出しまで、一言でも二言でも、必ず一人ひとりと何かしらの言葉を交わす。特に今回のように連休を挟んでいる際は、連休中の出来事など、根掘り葉掘り(?)は聞かずとも、ああでもないこうでもないと、くだらない話もする。

特に仲間講師の武山は、授業前後の時間を大事にしていて、必ずと言っていいほど雑談をする。時事的な話から理科にまつわる話など、子どもたちの興味を引くような内容が多い(ちなみに本日の中1には、初めての定期テストに臨むうえでの心構えについて)。一方、俺は「腹減ったなぁ、今日の夕飯は何?」「大谷選手すごいよな。」など、どうでもいい話が多い…(汗)。もっと勉強しなくてはと思う日々(もちろん、意欲喚起や動機付けなど、大事な時期にはカチッとした話もしますよ(汗))。

いずれにしても、対一斉でも対個人でもコミュニケーションは大事にしていきたいというのが、我々講師の想いだ。「学習指導」と一口に言っても、授業や宿題・テストの管理だけで成り立つような、そんな容易いことではない。当然ながら、そこには「人 対 人」としての血の通った信頼関係ありきのはずだ。

そんな武山は連休中の出先からのお土産を子どもたちに買ってきた。塾、そして子どもたちに対する想い、根っこが同じであることを再確認、そして感謝。

↓お土産

学力はテストを通じてこそ伸びる

程なくゴールデンウィークに突入。CLEARでも4/29日~5/6日は休業期間、我々講師もしばし充電をさせてもらう期間だ…
が!連休明けは怒濤だ。中学生はCLEARパワーアップテスト、そして修学旅行を挟む中3生にとっては、あっという間に第1回定期テストがやってくる…となればテスト対策の準備にも取りかからねばならない。

今年度から設定したCLEARパワーアップテストは、季節ごとに年4回実施する学力テスト(中3は+会場模試有り)とは目的や意図が全く異なる。中学生限定で実施しているこのテストは、塾の授業内容の習熟度を測り、定期テストに備えるためのものだ。担当している目の前の子どもたちの得手・不得手を考慮しながらの作成のため、その作成は全て我々講師によるもの。現場感覚を大事に「ここが理解できているかどうか」「このレベルの問題が解けるようになっているか」などなど、子どもたちの様子を振り返りながら作成していくだけに、なかなか骨の折れる業務だが、テストはある意味「鮮度」が命。なお、この種のテストは合格点を想定して作る。不合格であれば、合格できるまで何度でも、だ。

テストを通じて学力を高めたい。むしろテストこそ学力を高めるためのものだ。どんなに分かりやすい授業でインプットされた知識や解き方も、それらをアウトプットできるようにならなければ学力向上は難しい。そのアウトプット力を高めるのはやはりテストだ。授業は受け身の学習でしかない。何だかんだ言っても、テストがあるから勉強するのであり、そこで能動的な学習が促される。少しでも力のつく内容のものを作るため、今週は長時間パソコンに向かう日が続きそうだ。ガンバロウ。

5月期CLEARパワーアップテスト(英数)日程
・5/14月~19土(通塾日授業内にて)

「ありがとう」

CLEARは机を凹形で並べられている。理由は単純。8名限定の少人数クラス設定の長所を活かし、より個々に目を配れるようにするためだ。問題演習の時間中など、我々講師はあちこちに行ったり来たりして個々の進捗状況を確認したり、必要に応じて質問対応したりする。

小6授業のとき。毎回の授業導入時に宿題チェックをして回るのだが、子どもたちはいつも宿題のページを開いて講師側に向けてくれる。お陰でチェックしやすい。気配りのできる子どもたちだなぁと毎回感心させられている。中には宿題をしばしば忘れて叱られる子もいるけれど、皆本当に素直で良い子たちばかりだ。通ってくれてありがとうと心の底から思える。

だから、というわけではないけれど、授業が終わって子どもたちが帰るときに、俺は必ず「ありがとう!」と言って送り出す。「さよなら~」ではなく「ありがとう~」だ。それは授業終了時も然り。そんなやり取りをいつも子どもたちとしているせいか、いずれの学年の子どもたちも帰るときには「ありがとうございました。」と言って帰って行く。

感謝に対して感謝で応えられる関係。そんな子どもたちが集ってくれているCLEAR。手前味噌だけれど、良い塾だな、なんて思う今日この頃。

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んで…

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」
御存知の方も多いとは思う。気鋭の数学者・新井紀子氏が著した、今の子どもたちの現実と教育への提言。内容をザックリと言うと、大規模な調査の結果明らかとなった驚愕の実態について。日本の中高校生の多くは、中学校レベルの教科書の文章を正確に理解できていない。多くの仕事がAIに代替されるであろう未来、読解力のない人間は失業を余儀なくされるのでは…という教育界に警鐘を鳴らす一冊。

「教科書が読めない=内容を理解できない=自立学習などできるはずもない」
だから、CLEARでは読解力強化のために論理エンジンの導入を決断したのだが、使用し始めてからおよそ1ヶ月が経過した今、子どもたちの取り組みを振り返ってみたい。

国語教材として著名な論理エンジン。価格帯やレベル等から、悩みに悩み抜いた末に導入を決断したのだが、現時点においては決断して良かったと思っている。中学生全学年、いずれも同じレベルからのスタートで、一斉指導を廃し個別に進めさせているのだが、まず、他の教科に比べて集中力が抜群に良い。中でも中1でそれが顕著で、中3よりも先に進んでいる子もチラホラいる程(ガンバレ中3…)。そして、今まで漠然と読んだり書いたりしてきたことを、それなりに筋道立てて考え、書き始めているのを感じ取れている。

国語は全ての教科の土台。これは前職時代から変わらぬ想いだ。日本語を正しく理解し、正しく表現できる力が備われば、それは受験のみならず、社会に出てからも大きな強みとなるはずだ。高校受験も大学受験もあくまで通過点。「受験=目的」ではなく「受験=手段」でなければならない。

塾あるある~営業電話~

春、夏、冬。季節講習を実施する塾にとっては大事な大事な時期。新規通塾生を募るべく、どの塾もあらゆる手段を講じて生徒募集に奔走する。その中での「塾あるある」について。

募集時期に多くなってくるのが、塾からの営業電話。一度体験授業などに参加すると、連絡先を控えられている塾からひっきりなしに勧誘の電話がかかってくることがある。生徒募集のための企業努力と言ってしまえば聞こえは良いが、度が過ぎる塾があるのも事実。また、在籍生への電話も然りで、お子様の様子を伝えるという建前で生徒紹介のお願いをする塾も。全てとは言わないが、頻繁に電話がかかってくる塾で多いのは、授業をほったらかしにして電話をするというもの。子どもたちにプリントやらテキストやら取り組ませる内容を指示して、その間に電話をする。悪い言い方をすれば「放置」に近い。明らかに授業をしているであろう時間帯にかかってくる電話は、塾によってはこの例が少なくない。それを知らない保護者様の中には、マメに連絡をくれる良い先生と思う方もいるだろう。けれども実際は先に述べたような。。。であることもしばしば。それに、何度も何度もしつこいと感じる方もいるはず。特に夕食時など、お母さんがネコの手も借りたいほど忙しいであろう時間帯にかかってくると、迷惑この上ないと感じる方も少なくないだろう。

生徒募集の努力は絶対に必要だ。一昔前のように良い授業さえしていれば自然と生徒が集まるような時代ではなくなった。でも、目先の利益だけを追い求め、大事なものを見失ってはいけない。だからCLEARでは、何か早急にお伝えしなければならないことがない限り電話はしないようにしている。また、急ぎでなくともお伝えしておいた方が良いこと、事務的なご連絡等はメールが基本だ。子どもたちの様子は面談の折にじっくりとお話ができればいい。授業時間帯は目の前の子どもたちに全力を注ぎたい。

 

満点

「やるからには満点を目指す」
とても大事なこと。理系科目に比べて文系科目は暗記にたよるところが多い。「『覚える』よりも『考える』」が重視されている今日の教育現場ではあるが、最低限のことは覚えておかなければ考える材料も何もなくなってしまう。そんな文系科目を担当する俺は、折を見て小テスト等を子どもたちに課すことが多い。もちろん合格点を設定し、「出来るまで何度でも」を地で行く。なおかつ、その合格点は満点であることもしばしば。完璧になるまで繰り返すことで記憶として定着させる。これも意図としてあるのだが、本当の狙いはそこにはない。

満点でなければ意味がない、とは言わないし、そんなことは断じてない。そこに努力の足跡が見えるなら。ただ、俺が満点を課す理由は、「出来なくても仕方ない」に打ち克つ強さを持ち、自身への無闇な妥協をしてほしくないからだ。

100点満点中99点でも良しとする者は、98点や97点でも良しとする。一旦自身を甘やかしてしまうとクセになりやすく、ややもすれば90点台なら良し、80点台ならまぁ良しともなりやすい。

人間は弱いものだ。ついつい楽な道を選んでしまいがち。それも仕方ないことではあるけれど、少しでも「強くあれ!」「自身に厳しくあれ!」と想うことは大事だろう。

そんな想いで今日も子どもたちと共に!

キレイごとと言われようとも…能力と努力と…!

先日の新中1英語の一コマ。
最終日の学力テストに向けて、春期講習中は基本単語の習得…というよりは、発音からスペルの推測・連想ができるようになり、それを前提とした上での日本語からの英語変換ができるようになることを最低限の目標としている。
テキストからの単語をテスト(28問満点合格)する旨をおよそ1週間前に告知し、テスト当日を迎えたのだが…。8割の通塾生は努力の跡がうかがえる答案、残り2割は「この1週間何をやってたの?」という答案。

「この1週間、何をやってきた!これが努力と言えるのか!!?」
一喝。数ヶ月ぶりにこの学年に雷を落とした。
「一生懸命頑張ってきた子と一緒に勉強する資格はない!出て行け!」
著しく努力を怠ったと思しき子を別室に放り出した。

その後、改めて子どもたちを集めて皆に話した。

「なかなか覚えられない。やってもやっても出来るようにならない。能力の差はどうしてもあるだろう。でも、だからといって努力しなくてもいいなどどという理屈は通らない。そうあるべきではない。目標を達成するヤツ、成果を上げるヤツというのは、やはり努力をしている。誰にも負けない努力を。人より劣っているなら何倍も努力する。あの子が5ページやるのなら、俺は(私は)10ページやろう。あの子が1時間勉強するなら、俺は(私は)2時間勉強しよう。これが努力だ。能力の差を埋めるのは努力しかない。」

「勉強が苦手=ダメ」なんてことはない。断じてない。だからといって、
「勉強が苦手=努力しなくていい」のではない。今の自分を越えるために精一杯頑張る、少しでも自身の高みを目指す、そこに学びの価値があると信じたい。

その一喝された子は今日、27/28問まで出来るようになった。能力には差がある。でも、それを補い力強く未来を切り拓いていくには努力しかないはずだ。きれいごとと揶揄されようとも、やはり子どもたちにはその価値を伝えていきたい。

春期講習も折り返し。情熱全開でいく!

講師紹介②

『力強さと繊細さと』
長谷川明永【英語・国語・社会担当】
・「自ら考え判断し実行していける子」
・「客観的に自身を見つめられる子」
・「逃げずに最後までやり遂げられる子」
「どんな子に育ってほしいか?」と問われれば、きっと保護者様の多くはこのようにお答えになるのではないでしょうか。また、それは普遍であるようにも思います。 たかが塾、されど塾。あくまで学校の補完的役割といえど、逞しく未来を切り拓いていける子に育ってほしいと、教育の末端に携わる者としては切に願うところでもあります。少子化が進み、価値観が多様化する中、近年は個別指導塾が市場を席巻して久しく、「個別」と謳えば生徒が集まる風潮すらあります。けれども、「集まりさえすればいい」、それではいけません。子どもたちの真の成長を願うならば。だからこそ、CLEARはあくまで少人数指導にこだわります。良くも悪くもマイペースになりがちな個別指導。置いてけぼりにされがちな集団指導。これらの短所を可能な限り克服し長所を最大限に活かす、8名限定の少人数指導。習熟度に応じて学びながら、健全なる競争を通じて個を磨きます。 全体を力強く牽引しつつも、個々への繊細な目配りは怠ることなく、地域密着・唯一無二の学習塾を目指し邁進して参ります。

伸びるための環境とは?~面倒見という観点から~

「親身の指導」「面倒見」を売りにしている塾は多い。もちろん、良いことなのだが、その「親身」「面倒見」の中身、捉え方について。

あれもこれもと面倒を見過ぎると、反って子どもたちは伸びにくくなる。学校や塾はもちろん、スポーツクラブなど、子どもたちの教育・指導に当たっている方なら誰しも思い当たる節があるのではなかろうか。そう、お膳立てをし過ぎることは、子どもたちが自分で考え解決していくための環境を奪ってしまう。

前職時代、子どもたちや保護者様から言われたことがある。「長谷川先生はあまり教えてくれない」と…(汗)。まぁ、意図が伝わりきらなかったのは俺の不徳の致すところではあるのだろうけれど、そういう声を上げる理由の多くが、

「手っ取り早く答えを知りたいから」

考えることを面倒くさがり放棄してしまっているようなもの。これでは学力は伸びない。学力を磨くするうえで肝心要なことは、「答えを知ること」ではなく「考え方を身につけること」だ。だから、導く側の人間が、子どもたちに手をさしのべすぎると、答えは分かっても、なぜそうなるのかは分からぬままで終わってしまう。そして定着しないまま何となくの学習が進み、同じ間違いを繰り返す。だから、「分からないことは何でも訊ける」というのも考えものだ。

勉強であれスポーツであれ、指導する側の人間にとって大事なことは、その子にとって適切なハードル、頑張れば何とか自力で乗り越えられそうな壁を設けてやることだ。そして「自分で出来た」という実感を与えることだ。面倒見の良さや親身というのは、そういう機会をできる限りたくさん設け、その子が自分で乗り越えられるようになるまで辛抱強く待ち、ときに共に考えてやることだ。特に思考力を高めるには、考えて考えて、これでもかと考えまくるしかない。でも、そのように苦労して身につけた力は強い。逆に、労せずに身につけた力は脆いものだ。

だから、「面倒見の良さ・親身の指導=手取り足取り」であってはいけない。そういう意味で、補習も多ければ良いというものではないし、いわゆる付きっ切りの指導というのも決して良いとは言えない。賛否両論あろうかと思うけれど、CLEARではそのバランスを大事にしている。極論ではあるけれど、「面倒見が悪い」方が、子どもたちは伸びるかもしれない。

さぁ、来週からいよいよ春期講習。実りある時間にしたい。子どもたちにとって、そして俺たち講師陣にとっても。

全く記事とは関係ないけれど、湘南平から望む夕焼け、きれいだった。

新たなるステージへ

小学校、中学校、いずれも卒業式を終えた。
いかなるものであっても、節目は大事にしたい。
新たなるステージへと進む、新中1生、新高1生のみんな、
改めて、おめでとう。
新中1生は引き続き、このCLEARでの学びが続く。
新高1生は巣立ち、自らの意思と足で進んでいく。
君たちの人生にほんの僅かでも、関われること、関われたこと、嬉しく思う。ありがとう。
CLEARに大切な我が子を、託してくれること、託してくれたこと、保護者様に感謝。

自分自身をより良く塗り替えていくこと、更新していくこと。
小学生の頃がいちばん輝いていた、
中学生の頃がいちばん頑張っていた、
ではなく、「今がいちばん輝けている、頑張れている」と、
胸を張って言える生き方って素敵だと思う、かっこいいと思う。
俺自身、そういう生き方ができているかと言えば、それは分からない。
分からないけれど、そう在りたいと強く思う。

思うようにいかず、打ちのめされることもあるだろう。
躓いても、ダウンしてもいい。
もう一度立ち上がれるなら。
誰かが言っていた。
「倒れたまんまは無様。でも、そこからもう一度立ち上がることができれば、それは生き様になる。」
そのとおりだと思う。
壁、困難、辛苦、これから先、いろいろある。
でも、それらを乗り越える度に、乗り越える先に、
もっと良い自分自身に、もっと強い自分自身に、きっとなれる。

新たなるステージへと進む君たちに、
幸多き、光溢れる未来を願う。