メモ力~小6国語の文章題から~

小6国語で取り扱った文章題。これまた、中学に進学するうえでとっても大事なことが書かれてあった。
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・・・・メモ力初心者が往々にしておちいりがちな間違いに、板書を写すことがあります。先生が黒板に書いたものをノートに写す行為は、ノートを取る作業ではありますが、メモ力ではありません。
板書を写すのをいくらきわめても、この本でいうクリエイティブなメモ力、「鬼のメモ力」に到達することはありませんので念のため。
板書を写すとは、先生がすでに文字にしてくれていることを写すだけです。もちろん写している間に、記憶に残ることはあるでしょうが、板書を写すのとメモ力とはそもそもまったく別ものだと思ってください。
~中略~
また板書を写すことだけをしていると、黒板に書かれたものだけが正解かつすべてだと思いがちで、自分の中から生まれたものを大切にする気持ちが生まれにくいでしょう。
板書を写して終了なので、「自分の考えこそが大切である」というクリエイティブな領域に進みづらいのです。
たとえで言えば、板書を写すことは先生がすでにつかまえてくれた魚がきれいにならんでいて、それを生徒が買うような行為です。そこでは海の中から自分で魚を見つける能動性がありません。その点において、板書を写すことはクリエイティブではありません。先生がつかまえてきた魚をいくらたくさんそろえても、魚の捕り方は学べません。・・・・・
(齋藤孝「思考を鍛えるメモ力」より)
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まさにそのとおりの内容。板書をきれいに写して“勉強した気になってしまう子”には、心底分かってほしい。このブログでも何度か記事にしているけれど、何のためにノートをとるのか?
復習するためだ。
でも、そこを勘違いしてしまっている子が実は多くて、学校や塾の先生の板書をきれいに写すことだけに注力してしまう。たとえば、歴史のノート一つとっても…
年代:出来事
年代:出来事
年代:出来事…
これだけ見ても何が何だか分からないはず。「この法律ができたから、世の中がこう変わった」とか「国王が民衆を苦しめたから革命が起きた」とか、いわゆる因果関係ムシの単なる出来事の羅列では、理解や記憶には向いてない。

学びの基本は、
まず、人の話が聞けること。
そして、聞いたことを理解しようと努めること。
(理解する=自分の言葉で言い換えられる)
そのために、メモ力は不可欠。

小6に限らず、
「ノート=板書どおりに写すべきもの」
と思っている子は改めよう。
そのためには、ノートはダイナミックに使った方が良い。必要なことをドンドン書き込めるスペースを作ることを心がけよう。

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