【私事】親孝行

今夏で独立=CLEARの立ち上げから丸三年が経った。長かったようで短かったような、そんな歳月。まだまだ志半ば。山あり谷ありではあるけれど、どうにかこうにか4年目を迎えることができた。支えてくれた全ての方々に感謝。

支えてくれた人、その中にはもちろん両親もいるわけで…。それこそ盆暮れ正月という、年に数回しかないけれど、所用があって先日実家に顔を出してきた。当然ながら、親父もお袋もすっかり爺さん婆さん、顔を見る度に老けたなぁ…と息子ながらに思う。

そんなこともあり、今回は両親、家族について。たまにはアリだろ?という気持ちで、今回は塾とは全く関係ない、俺個人的な記事を…。

今思えばワガママし放題、自他ともに認める、典型的なB型一人っ子として育ってきた(汗)。親父、お袋、俺の3人家族。決して裕福な家庭ではなかったため、両親もさぞ大変だったろうと思う。小学校低学年まで暮らした家は、1Kの風呂ナシおんぼろアパートだった。いつも親父に手を引かれて近くにある銭湯に行ってたっけ。当時の銭湯は安く、1回100円もしなかったのではなかろうか。風呂上がりのコーヒー牛乳が格別に美味かったのを今でも記憶している。でも、この頃のことを、辛いとか苦しいとか思ったことはない。

親父は中卒だった。世間でいうところの、いわゆる学歴なるものはなかったけれど、現場のたたき上げというか、その仕事ぶりが認められそれなりの役職まで上ったらしい。そのお陰でおんぼろアパート暮らしともサヨナラできた。でも、頑固一徹、曲がったことが大嫌いという、“The 昭和の男”を絵に描いたような人だったせいか、敵も多かったようだ。そんな自分と同じ経験をさせたくなかったからか、口癖のように世渡りが上手になるように言われてきたっけ。でも、すいません。やっぱり俺は貴方の血を引いているようです(笑)。

お袋は俺が生まれて程なく身体を壊した。まだ赤ん坊だった俺は親父から聞いた話だけれど、脊髄の損傷(?)。成功しても植物状態になりかねない大手術が必要な大病を患ってしまったらしい。「何もしないままこの状態が続くぐらいなら、少しでも可能性がある手術をして下さい」と、当時の親父は意を決して手術を依頼した。結果として手術は成功したが、やはり当時の後遺症は残るもの。今となっては手足が不自由になってきていて家事もままならない。でも、「男が台所になど立つもんじゃない」などと言ってきた昭和親父が、お袋の代わりに今では洗濯から料理まで、慣れない手つきでこなしている。人って変わるものだ。

そんな両親を持つ。会社員の頃は毎月の仕送りを欠かさなかったのだが、現状はそれがままならない。二ヶ月に一度ぐらいのペースで、お米やら食品やらを送るのが精一杯。「申し訳ない」と親父に言うと、「俺たちのことは気にするな。お前は自分のことだけ考えていればいい」と。でも、「はい、分かりました」とは素直に言えるわけもなく…。

苦しい家計ながらも大学まで進学させてくれた両親。
会社を辞し独立したときも、何も言わずに理解を示してくれた両親。
俺の進みたいように、生きたいように人生を歩ませてくれた両親。
面と向かうと照れくさくて言えないけれど…感謝。もっと楽をさせてやりたいと心から思う。

モノやお金が全てでは決してない。それは分かる。
頑張っている姿を見せるのも親孝行の一つではあると思う…けど、歯痒さを感じる。親孝行って難しい。

「【私事】親孝行」への2件のフィードバック

  1. 親は、子供がいるから親になれるのです。
    お金を送ることだけが親孝行ではないかもしれませんね。
    きっとご両親は、ただただ頼りにして欲しいと思っているかもしれませんよ。

    1. コメントありがとうございます。
      ご無沙汰しております。○谷様ですよね?^_^
      はい、お金やモノが全てではないと思うのですが、今の自分自身がとても不甲斐なく…思うところが多々あり葛藤しております。
      アスミさん、ホナミさんはお元気ですか?それぞれの道を力強く邁進していってほしいと心から願っています。またどこかで再会できる日を楽しみにしています。

      長谷川

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