個性や自主性は規律の中でこそ育まれる(持論)

手前味噌になってしまうけれど、CLEAR通塾生の強みは、小中学生いずれも欠席が極めて少ないことだ。小学生だと「習い事」、中学生だと「部活」、を理由に欠席が多くなりがちな時期(例えば季節講習)があるものだけれど、それがあまり見受けられない。この欠席の少なさには「学力的な伸長」を期待させられる。なぜそう思えるのか?

「子どもを伸ばすには何が必要か?」と問われたら間違いなくこう答える。

『規律』

よく子どもを伸ばすためには、「個性や自主性を大事に」と声高に言う人がいる。決して間違っているわけではないのだが、その個性や自主性というものは、「規律」の中から生まれるものであるということを忘れてはならない。「子どもを自由に伸び伸びと」とか「子どもの発想を大事に」とか、子どもを野放しにし、規律を無視して生まれた個性や自主性などは、単なる自分勝手に過ぎない。悪く言えば「無法者」。本当の個性や自主性はそうではない。規律がある中で、どうすれば自分自身を磨けるか、高められるかと知恵を絞り、試行錯誤する中で育まれるものだ。

規律の中で自らを律する=自律する、ことができれば、それは自立へとつながる。何事においても自ら進んで主体的に取り組めるようになる。

そういう意味で、極めて欠席が少ないCLEAR通塾生の子どもたち。「塾」も社会の1つ。社会における規律を守れる子は伸びる。だから、この子たちは伸びると確信している。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です