節目に想う…

CLEARの開校は2016年、夏。
今夏で丸6年が経った。
そのころ小学校に入学した子がもう卒業し中学生に。
もう6年?まだ6年?
節目だからか、夏は何となく物思いにふけることが多い。
自己満足と言われればそれまでだけれど。備忘録として自身の足跡を振り返ってみる。

子どもの頃にとある先生との出会いがきっかけで、人にモノを教える仕事に就きたいと思うようになった。メチャメチャ厳しいけれど、どこか温かく、真剣に向き合ってくれる、そんな先生だった。

教員免許を取得して公立学校の教員を志したけれど、世代的に当時は受験も就職も競争率が半端なく(1浪2浪なんてザラで就職超氷河期を経験した世代です…)、教員採用試験に至ってはその倍率は優に100倍超え…(汗)。そんなふざけた倍率にもはや笑うしかない状況だったため早々に戦意喪失。公立学校の教員は断念。根性なしです、はい…(汗)。

しかし、教員の夢をどうしても諦めきれず、私立高校の非常勤講師に応募したところ、某高校に声をかけていただき何とか採用してもらえた。結構ヤンチャな生徒が多い学校だったため(今はそうでもない)、教務面も生活指導面も、諸々と鍛えられた(笑)。ただ、もちろんそれだけでは食っていけないため塾の時間講師を掛け持ちし、二足のわらじの生活へ。授業の予習に追われる日々が続き、一睡もしないまま授業なんてことはザラにあった。どちらも中途半端になってしまっていたこと、そして、収入の不安定さから、悩んだ挙げ句に塾講師一本の道を選んだ。

掛け持ちしていた学習塾に正社員として十数年間お世話になった。教室長、ブロック長を経験させてもらい、担当教室では最盛期に100名程の子どもたちに通ってもらえた。けれども、その最盛期を境に生徒数は減少の一途へ。決して有頂天になっていたわけではないのだが、今思えばおそらく心のどこかに慢心があったように思う。結果が出なければ不要、それが社会の現実。その厳しさを痛感し、居場所を失った俺は、決して本意ではなかったけれど離職することに。でもこの十数年間で、学習塾の魅力にドップリとはまり、良いところも悪いところも全て学ばせてもらった。感謝。

去り方が去り方だっただけに、自己嫌悪、猜疑心に苛まれ、塾の仕事はもういいかなんて思いながら、やることもなく途方に暮れていた頃、かつての教え子たちや保護者様からたくさんのお手紙が自宅に届けられた。「戻ってきてください」「先生を続けてください」という多くのメッセージに勇気づけられ、もう一度だけ塾を、人にモノを教える仕事をやろうと塾講師の仕事を探した。けれども、年齢制限でほぼアウト。そんな毎日が続いたため、人生一度きり、と覚悟を決めて一念発起、独立開業の道へ。2016年の夏だった。

塾名は「進学塾CLEAR」。さまざまな想いを込めて決めた名称だ。吹けば飛ぶようなちっぽけな塾が産声を上げた。生徒募集に奔走するも、思うようにいかないことばかり。当然と言えば当然だ。名の知れているフランチャイズの塾ならまだしも、どこの馬の骨とも分からぬ塾に、誰が通おうと思うだろうか?誰が大切な我が子を託そうと思うだろうか?家庭教師や倉庫作業、引っ越し業など、複数の仕事を掛け持ちし何とか食いつなぐ日々が続いた。でもこれらのような経験のお陰で、足るを知るということを覚えたし、少々のことではへこたれなくなった。心身ともに。

そんな日々から少しずつ地域の皆様にも認知してもらえるようになり今に至る。複数の仕事を掛け持ちする必要もなくなった。通ってくれている子どもたち、我が子を託してくれている親御様、そして、地域の皆様には心の底から、ただただ、感謝!

まだまだ志半ば。
失敗を恐れることなく、絶えず変化を繰り返しながら、昨日より今日、今日より明日…、皆が切磋琢磨しながら、直向きに頑張ることができ、成長していける環境を作り上げていきたい。

画像はCLEAR開校当初。若い…?(笑)

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