岐路

決戦(公立高校共通選抜)の倍率が明らかとなった。明らかとなったとは言っても、まだ志願変更ができる猶予があるため、最終確定ではないのだが、これで合格ラインの目安がはっきりした。

「志願変更せずにこのまま勝負すべきか?」
「より合格可能性の高い高校へ志願変更すべきか?」

中3受験生たちは、きっと今までの人生の中で、最も悩む時期かもしれない。終始一貫言い続けてきていることだが、

「俺は『受けるべき』とか『変えるべき』とか、『提案』はするが、『受けろ』とか『変えろ(下げろ)』とか命令じみたことは言わないし、言えない。お前たちの人生なのだから。俺が言えるのはあくまでも合格可能性の範囲に限る。そして誤解してほしくないのは、『可能性』であって『保証』ではないということ。最終的な決断を下すのはお前たちだ。」

いかなる選択をしようとも、完全なる正解などない。結局のところ、自らが選んだ生き方が間違っていなかったと、置かれた環境の中で懸命に頑張っていくしかない。この道を進んだらどうなるかなど、誰にも分からないし、分かるわけないのだ。分からないから前に進めないのなら、この先の人生、何ができるだろう?

まさしく「岐路」に立たされているであろう中3受験生。でも、こういう経験ができるからことに受験の意義がある。高校、大学、専門学校、就職、結婚…人生は選択の連続であり、その時々に確かな一歩を自らの足で踏みだし、自らの道を切り拓いていかなければならない。

改めて、中3受験生諸君、「初志貫徹、そのまま勝負する」も、「変える(下げる)」も、同じ前進だ。後退などでは決してない。後退とは、己をもたず、表面上の情報だけに振り回され、実態の知れない第三者の言いなりのままにすることだ。心ない人間の中には、志望校を下げるようなことを「根性がない」とか「男のくせに」とか言う人間もいるだろう。でも、そんな言動に振り回されてはダメだ。「変える(下げる)=逃げる」ではない、断じてない。家庭環境、将来のこと、様々な観点から悩みに悩み抜いた決断は尊いものだ。

こういう「競争」は「悪」と、受験を否定する見方もする人間もいるが、それは、受験を断片的にしか捉えていない人間の言うことだ。

受験は実社会に出ていくために必要なトレーニングだ。
自らの生き方を決めていく受験は、子どもを成長させる。
受験という経験は、かくもドラマチックなことか…。

倍率と睨めっこ中の私(笑)