「勉強の仕方が分からない」
勉強が苦手な子にとっての常套句かもしれない。その結果、やらない。分からなくもないけれど、果たしてどれだけの「量」をこなしているのだろうか。
こう言う子の皆がそうでは決してないけれど、得てして「手っ取り早く、効率よく」を求めるがゆえに二言目には「勉強の仕方が分からない」と口にする。でも。「ちょっと待て」と言いたくなる。確かに、要領よく。テクニック的な要素も多少は勉強には必要だろうが、それは、一定の基礎学力が備わっていてナンボだ。
基礎学力を身につけるには、一定の量をこなさなければならず、そのためには、それ相応の時間が必要だ。それなりに長く机に向かえる、いわば「勉強体力」が備わっていなければならない。勉強の合間に休憩しているのか、休憩の合間に勉強にしているのか分からないような状態では、必要な量をこなせるわけがない。基礎体力が身に付いていないのに、いきなり実戦的なトレーニングをしようとしてムリが祟るスポーツと同じだ。
勉強もスポーツも、いわゆる基礎練習というのはつまらないものだろう。同じことの繰り返しだから、つまらないし、メンドクサイし…。でも、それを経なければ上達しないし、“ケガ”をすることもある。つまらなかろうが、メンドクサかろうが、まずは「土台」を身につけることが大事。
もちろん、ごく希に、サラッと目を通すだけで内容を理解出来る、数問解いただけで出来るようになる、そんな天才のような子もいるだろう。でも、大半がそうではない。そうでなければ、まずは量をこなすのが絶対で、そのための時間を机に向かうことに費やせる勉強体力が必要だ。要領やらテクニックやらなどというのは、そういう基本的な姿勢が備わってから言うもの。
勉強体力がない、例えば、集中力が続かない、落ち着いて座っていられない、長続きしない…。勉強に限らず、物事に対する耐性や持続性、ともすればその子の根っことも言える部分。批判や誤解を覚悟のうえで言えば、それは親の教育によるところが大きい。学校や塾といった、外部の指導でそれらが劇的に改善されるというのはなくもないけれど、極めて希だろう。
「勉強の仕方が分からない」と言う前に、まずはそれなりに長く机に向かい、それ相応の量をこなしているかを見つめ直すことが必要だ。
まずは量をこなさなければ、質は磨かれない。

