指導現場でヒシヒシと感じる学力格差…。

中学社会の授業をしていて驚くのは、その知識量の格差だ。例えば、イギリスの場所が分からないとか、誰が鎌倉幕府を開いたかを知らないとか、結構ザラにいる(汗)。一方、このようなことは一般常識として普通に知っている子もいるわけで…。

子どもの主体性に任せる時代。指導現場では、半ば強制的に覚えさせるであったり、解けるようにさせるであったり、そういう指導ができにくいのが現状だ。かつてのように学校の先生に居残りをさせられたり、宿題をたっぷりと出されたりというのは今は昔。だから、子ども自身が自分に厳しく、覚えるべきものはきちんと覚える、というような自律の姿勢が求められる。とは言え、「やる子はやるし、やらない子はやらない」も致し方なし…というのも、酷であろうと正直思う。

子どもにとって勉強の動機なんて、「テストがあるから」「成績に関わるから」というのがほとんどだろう。もちろん理想は自ら関心を持ち学ぼうとすることだが、人にはどうしても得手不得手、好き嫌いがあるものだ。テストがあるから、成績に関わるから、嫌でも勉強する。高校以後は自己責任の下、各々の判断に任せれば良いが、中学までは義務教育。社会に出て困らぬよう、最低限の知識や技術は、周囲の大人が半ば強制的にでも身につけさせるべきであると、指導現場でそのような状況をリアルに感じていると、そう思えてならない。

別に博識になってほしいわけじゃない。最低限の、一般教養としての知識ぐらいは、きちんと身につけさせたい。そのうえで、高校進学後は、自分の興味のある分野を重点的に学び、どんどん伸ばしていってほしい。

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