かれこれこの塾講師という仕事に携わらせてもらって早20数年…。これまで様々な子どもたちと接してきた。今では大学で研究に励んでいる教え子、仕事の第一線でバリバリ働いている教え子、結婚し子どもを設け幸せに暮らしている教え子…と様々いるわけで…。
その中には、学校の先生として日々奮闘している教え子もいる。充実した教師生活を送っているであろう一方、やはり大変そうな現場でもある(学校の先生方には本当に頭が下がります)。葛藤することも多々あるだろう。たかが一塾講師、おこがましいにも程があるのは重々承知の上だが、学校では程なく新年度を迎えるに際し、もしこのブログを読んでくれる機会があるなら…自分なりのエールを送りたいと思った次第。
「友だちのような先生」がウケる時代になって久しい。楽しそうにじゃれ合っていて、とても賑やかな様子だ。一見、教師と子どもたちは仲が良さそうで、微笑ましくも思う。しかし、このような教室は崩壊していく可能性が高い。しばらくすると教室がガヤガヤと騒々しくなる。やがてクラスの秩序が乱れ始め、授業が成り立たなくなり、落ち着いて勉強する雰囲気では到底なくなっていく。あんなに教師と子どもたちが仲良くしていたのに…と不思議に思われる光景。崩壊するカラクリは、「友だちのような先生」になったことで、何でも気軽に話しやすくなったことにある。
子どもたちは、別に教師と気軽に話せることを望んではいない。子どもは、「教室を安全で安心できる居場所にしてくれる」教師を望んでいる。「子どものことを真剣に考え、問題や悩みを抱かえたときに、きちんと向き合い対処する方向を示してくれる」、潜在的にはそんな教師を望んでいる。「この先生なら大丈夫」という安心感が生まれたとき、初めて子どもは教師を信頼する。気軽に話せることは、子どもとの良好な関係を保っていくには大事なことだが…
気軽さが子どもとの信頼関係を生むのではない。
ここを誤解してしまうと、先に述べたような、いわゆる学級崩壊に近い状態になりかねない。だから、教師と子どもとの間には、毅然とした一線を確保しておくことを第一に考えなければならない。「厳しい教師」というのは近寄りがたく感じるかもしれないが、嫌っているというわけではない。「近寄りがたい」と「嫌い」とは違う。
子どもは、優しさと厳しさとの両面を兼ね備えた教師を信頼する。ただ、誤解のないように言っておくと、
「優しさ」が「甘さ」になってはいけない。
良くない言動もつい許してしまうのは「甘さ」であって「優しさ」ではない。そのような「言動=表出するもの」に対してではなく、子どもの内面を見つめ認めるのが「優しさ」だ。冗談話をして笑わせるときもあれば、厳しく怖いと思わせるときもある、そんな教師。教育現場のみならず、スポーツの世界でも、強いチームやそれなりの実績を上げているチームというのは、やはりコーチや監督などが、一定の厳しさをもっているものだ。
今の時代にはそぐわないことを言っているのかもしれないけれど、この20数年の経験から、そう思うところは多々ある。子どもたちを取り巻く教育環境が変わってしまっただけで、子どもの本質的な部分はそう変わってはいない。
学校という現場であれば、もちろん子どものみならず、親御様のことで悩みを抱えることも多々あろう。中には…
常識のない言動をされる親御様、
筋違いなクレームを言われる親御様、
自分の子さえ良ければいいという親御様、
…様々いらっしゃるだろう。でも、でもだ。全ては我が子への深い愛情あればこそ。歩み寄れるときは歩み寄り、うまく距離感とバランスとを保ちながら頑張ってほしい。何より大事にすべきは、今、目の前にいる子どもたち。学校のためでも親御様のためでもなく、子どもたちのために。それだけはどうか忘れずに。
偉そうなことを述べてきた割に自分はどうなのか?と問われれば、未熟も未熟、半人前もいいとこだ。それでも、昨日より今日、今日より明日…と半歩でも前進し、成長できるよう自戒と試行錯誤の日々。
何が正解か分からず俺も年がら年中もがいてる(汗)。
でも、それでいい、というか、そうでなくてはいけないとも思う。
マニュアルなんてない。
だから、ガンバレ。