「受験勉強なんて社会に出てから何の役にも立たない。」
受験勉強にとことんホンキで取り組んだことがない人に限って、よくこういうことを口にするけれど、果たしてそうだろうか。
国語は言わずもがな全ての学びにおける土台であり、数学を勉強することで論理的に物事を考えられるようになるし、理科は人や自然について、また、社会は世の中の動きについて、それぞれ知る機会になる。また、英語は今後一層加速していくであろうグローバル社会に対応するために必要なスキルだ。これらの教科学習はそれぞれ性質が異なり使う脳も違うため、受験勉強を通じてでも考える力は十分に養える。地頭(じあたま)は鍛えられる。
もちろん、数学の因数分解だの、英語の関係代名詞だの、社会に出てから“直接的に”役立つことは希有だろう。でも、こういうことの原理や原則、また社会通念の一般常識を知っておくのと知らないのとでは、後々大きく違ってくる。知っていることが多いというのは判断材料が豊富にあるということ。あらゆる場面で利に働くだろう。
そして何よりも、合格という目標に向かって頑張り抜く、何か一つのことをやり抜くという経験値を積み重ねられるというのが大きい。辛くても苦しくても、歯を食いしばって懸命に高みに挑もうとする経験は、後の人生において大いなる糧となるだろう。合否に関わらず、決着がつくまでの過程において、得られることはさまざまあるのだ。壁にぶつかることで自分自身を見つめ直してみたり、サポートしてくれる周囲への感謝の気持ちが芽生えたり…。
中3や高3という受験学年。長い人生の中でそのたった1年間足らずを頑張れるか頑張れないかは自分次第。受験勉強で得られる経験というのは、決して一過性のものではなく、後の人生において大いに有益なものとなるはずだ。